(「いろいろ田紳有楽・4」藤枝文学舎ニュース第 22 号/ 1997 年 10 月)


  門をくぐると、そこは「田紳有楽」の舞台である。枝を密集させて高々とユーカリが立ち、今は水を枯らし二坪ほどの池が玄関脇にある。「出目金C子」たちに会えないのは残念だった。この庭も近々区画整理で取り壊されてしまう。

 浜松の菅原眼科医院(藤枝宅)をお訪ねしたのは、藤枝静男収集の李朝民画文房具図を見せていただくためであった。医院を継いでいる長女の章子さんに案内されて二階の居間に入ると、床の間にはすでに軸装された文房具図が二点掛けられている。その前には、随想「骨董夜話」に登場する青銅瓶が置かれていた。十四の破片であったものを継ぎ合わせたと「夜話」にある。胴に大きな欠け穴があるのはそのためだ。

 「こんなものは誰も欲しがらないだろう。…自分にだけ本当の美しさを見せてくれるのだ」と藤枝が愛玩した品だ。

 文房具図は全部で六点見せていただいた。藤枝静男の手で「茄子」「西瓜」などと箱書きされている。少し長いが「文房具図」について藤枝が書いたものを引用する。

 「しかし不思議なことに、そのどれもが極端に不合理な逆遠近法で描かれている。たとえば机の表面は遠くへ行くほど開いているにかかわらず脚は反対にほぼ正常の遠近法で先すぼまりに描かれていたりする。おまけに、こういう物件が上から下までぎっしりと並列し重なってリアリスチックに写されているのに、あるものがあるものの上に重ねて乗せられているように描かれていない。確かにお互いの底と頭は接しているが、均衡は全然無視されている。重力的に見ればすべて崩れ落ちるはずである。そうかといって一切が空中に浮上しているといったようなメルヘン的な味はない。ここで当然シュールの画面を思い浮かべることになるけれども、あんな意識的な構成と統一的な意図などまったく感じられないのである。いったいなにが原因でこんな絵が生まれて、しかも数百年も伝承され続けてきたのか、私にはいまだにわからないままである。にもかかわらずそこには異様な魅力があった。なんとなく目をそらさせないような迫力と、一種野蛮な力を感じたのである」(骨董歳時記3「朝鮮民画」)。

 「異様な魅力」「野蛮な力」と藤枝は云う。私はどうか。時代を経て色調は落ち着きを見せ、描がきっぷりは慎重丁寧である。確かに三次元表現に不整合がありその点で異様ではあるが、全体から受ける印象は穏やかで上品にさえ思えた。私には「野蛮」という形容は思いつかなかった。「一種」という条件付きにせよ、「野蛮」というのは藤枝静男独自の感受性故であろう。

 陶工の加藤唐九郎と鈴木繁男が激論するのをわきから聞いていた藤枝は、つぎのような感想を記している。

 「よく美術がわかるとかわからないというけれど、私は『なるほど実作者にはそんなもの関係ないな』と思ったり『公平に見て下らないものが強烈な芸術家の勘ちがいで驚くほど美しい作品に生まれかわることもありえるのだな』と思ったりした」「(実作者は)ひとりとして寛容で公平で普遍性のある理論を持たない。時として滑稽きわまる勘ちがいをして平気である。そしてこれこそが実作者の強味でもあり特権でもある」「それなら私自身はどうかと聞かれれば、私は絶対に勘ちがいはしない。しかしだから私の小説にロクなものはないのである」(勘ちがい芸術論)。

 私は「文房具図」を下らないものだとは考えない。藤枝が「文房具図」を評価するのを勘ちがいとも思わない。私も勘ちがいしているのでなければ。それにしても「私は絶対に勘ちがいしない」というのはどうか。藤枝は自分の「眼」を絶対的に信じた思い込みの強い人であった。勘ちがいかも知れないこの強い姿勢が「野蛮」を見てとったのである。

 「小説の形から云うと…朝鮮李朝民画の文房具図も頭にあった」─「田紳有楽」のこのあとがきが、文房具図に私が興味をもった理由だが、同じあとがきの次の一節を思い出していた。

 「まず試みに有り合わせのシーンを十枚に書いて形にしてみたのである。それを机のうえに乗せておいてあっち見たりこっち見たりしながら、ちょうど空地に一部屋のバラックを作ってからそれを殖やすように、別の部屋を継ぎたし二階をつけるという積木式のやり方で奇形児みたいなものをこしらえた。その家のなかに入れば床は傾斜して不安定だし、窓ガラスは歪んで外の景色はいびつに写るから自分でも不満である。しかしスタティックなものは始めから嫌であったという事情もある」─この一節は文房具図の説明と対応する。「田紳有楽」の小説としての形が文房具図によって決まったとする単純な図式は採らないが、「方式無視の混在性」(埴谷雄高)において両者は濃密につながっている。

 文房具図のあと、藤枝静男愛蔵の品々を見せていただく。「ウラジミールの壷」は、ソ連旅行の際ホテルで使用していたものを無心。無論骨董とは云えない。それが箱に収められ、箱書きまでしてある。実に藤枝さんだ。他に可愛らしい李朝瑠璃釉の「葉文小壷」、三国時代のジョッキのような壷も。田紳有楽信者として嬉しかったのは、『田紳有楽』の函のデザインに使われた模様が刻まれた木彫品である。藤枝静男がどこで手にいれたものか、いったい何なのか、章子さんも知らないという。藤枝は文鎮として使っていた。 

 ベランダ越しにユーカリが見える。いまウラジミールの壷たちが並べられているこの卓袱台は、「丹波」が現れて「磯碌億山」と問答したあの卓袱台かと、ふと思った。




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