(浜松文芸館『風紋のアンソロジー』/ 2009 年4月)


 藤枝静男の小説や随筆には、美術にかかわる話が度々登場する。書いていると云うだけではない。また愛好家と云うにとどまらない。美術は藤枝静男の創作の場において、重要なファクターであったように思う。

 藤枝静男は旧制高校時代、下宿の一部屋をアトリエと称し油絵に熱中したこともあった。随筆集『寓目愚談』の口絵の一枚は、親友平野謙を写生した藤枝のスケッチである。また藤枝は曾宮一念、原勝四郎の作品のコレクターであった。随筆集『落第免状』の見開きに曾宮のスケッチを使っている。原では、NHK日曜美術館「私と原勝四郎」に出演した。また藤枝の李朝民画・白磁のコレクションは、藤枝静男展で展示されたから皆さんにもお馴染みかと思う。小説「ゼンマイ人間」に出てくるルオーの油絵も、藤枝静男のコレクションの一つだ。志賀直哉が編んだ大型美術図鑑『座右寳』特製版や分厚い『ボッシュ画集』は藤枝自慢の品だ。

 藤枝静男は展覧会にも熱心に足を運んでいる。小説「在らざるにあらず」に出てくる展覧会を、その一例としてあげてみる。

 「中華人民共和国古代青銅器展」「ルフィーノ・タマヨ展」「ドイツ・リアリズム展」「平安鎌倉の金銅仏展」「出光・白鶴美術館交流展」である。

 「在らざるにあらず」の主人公は呆れるくらい粘っこい。藤枝と等身大であろう主人公は、会場を行きつ戻りつし最後は疲れ果てて博物館を出る。

 藤枝が書いている展覧会の図録を集めてみた。かなりの册数で、私の書棚にいま並んでいる。その図録たちは、見ずにはいられない藤枝静男の貪欲なエネルギーの証人である。

 美術は藤枝静男の創作の場において重要なファクターであった、と冒頭書いた。そのことについて少しふれたい。

 志賀直哉から直接もらった志賀が描いた油絵について、藤枝静男は書いている。

 「言葉そのままの意味で下手である。味も何もない。ただただ正直で糞真面目で下手なのである」と書いたあとで、「志賀氏の眼には対象の美しさだけあって、動く手に他の人の表現方法・技法が全く入ってこないのである」「ただおぼつかない手を動かして、見たところをジカに正直に写そうとしている。小説を書きはじめたとき志賀氏は同じことをやったのである」「志賀氏の絵は下手ではあるが何流品でもない。これは私にとって教訓的である」(「志賀直哉の油絵」)。

 藤枝にとって志賀直哉の素朴とも云える一枚の油絵は、こうして創作への教訓となる。

 『田紳有楽』あとがきがある。

 「小説の形から云うと、やはり同じ時分から気になっていた朝鮮李朝民画の文房具図も頭にあった」「極端な逆遠近法で写されているから、床に掛けて眺める度に一種の不快感を誘われた」「互いの底部と頭部とは、画面ではくっついているにかかわらず、上のものが下のものに乗っているとは到底解されないのである」「妙な、芸術的抵抗感の強い、気になる絵である。それが頭にあった」。

 李朝民画文房具図から、『田紳有楽』が生まれたと単純には思わない。しかし小説『田紳有楽』誕生に、文房具図がいささかでもかかわったことは確かだろう。

 話は『田紳有楽』より前になる。藤枝静男が小説『空気頭』を書いたとき、小川国夫からボッシュを思わせると批評される。藤枝静男はそのとき、ルネッサンス時代の画家ヒエロニムス・ボッシュをまだ知らなかった。その後神田の古本屋街を平野、本多秋五とひやかしていて、『ボッシュ画集』を見つける。

 「(空気頭では)個別的には幻想ではなくて実際に存在し証明されたものを貼り合わせて、しかし全体としてはレアリスティックな生活ではありえない畸形な世界を作って、それをもぐり抜けることで本当の自分を表現しようと試みたのであった。この畸形な世界とそれを構成する個々の材料の非常識さが、小川氏にボッシュの絵を思い出させたのかも知れない。そして小川氏の指摘に見合うようなものに傾斜する好尚が、確かに若いころの心的経験として私の脳裏に刻印されていたことを今肯定せざるを得ないのである」(「ボッシュ」)。

 藤枝静男は『ボッシュ画集』を手にして、己れの深層に蟠踞していた己れの好尚をあらためて自覚する。この追体験的自覚は、作家としての自らの原質を見詰めることになったのではないか。ボッシュでは遅れをとったが、グリューネヴァルトのグロテスクな磔刑図を藤枝は高校時代に認めている。

 藤枝静男はまた、美術作品を喩えとして使う。「春の水」では、サヨ子の編髪がレオナルドの流水の素描に変容する。「空気頭」では、A子はクラナッハの描くレダそっくりに湯上がりの裸体を曝す。「或る年の冬 或る年の夏」では、女優が片手をあげて二科展に出品されていた絵と同じポーズをとる。

 ところで、藤枝静男がもっとも好んだ画家は誰だったろうか。生前の藤枝静男をよく知る画廊主から、「藤枝さんは、セザンヌを一番評価していたと思う」と聞いたことがあった。

 藤枝静男はブリジストン美術館にあるセザンヌの小品「静物」について何回か書いている。粗末な鉢と牛乳入れを描いたこの作品のサイズは20×18センチである。

 「この画の美しさは何と形容したらいいかわからない」「簡素で静かで、とにかく何よりも美しい。厳格なセザンヌの理論のひとつ奥にひそんでいるやさしくて柔くナイーヴな心情がこの貧しい画材の中に泉のように流露している」(「好きな絵」)。

 己れを責めることをついに止めなかった藤枝静男にとって、セザンヌのこの小品の美しさは、嫌悪すべき己れの対極にあるものとしてとりわけ心にしみるのである。




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