(「やぐるま草子」第2号/ 2008 年 11 月)


  十四帖ほどの我が家の居間は物置と化している。壁一面の括り付けの書棚には、本があふれている。二重に詰め込んでも入り切れない本が、書棚手前のわずかなスペースを奪い合って積み上げられている。それらの本たちのほとんどは、作家藤枝静男を追っかけてきて集まった本である。

 私は生前の藤枝静男に会うことがなかった。読み始めたのも、藤枝静男が書くことを止めてからである。葬儀にも用事が重なり参列しなかった。しかし今書棚を眺めながら、それらの一冊一冊は藤枝静男からの戴きものだと思う。藤枝静男を追っかけなければその存在を知ることもなかったし、買うこともなかったと思うのである。

 戴きものの筆頭は、志賀直哉編集大正15年発行の美術図録『座右寳』特製版である。藤枝静男は探しても見つからず諦めたが、本多秋五の骨折りで手に入れることができた。藤枝静男は随筆「『座右宝』のことなど」で、入手した喜びとその書誌を記している。「前六八センチ、奥行四八センチ、高さ一八センチの

桐製けんどん漆箱。三段に区切られ、段ごとに桐の引き出し板があって前中央に紫檀の爪掛けが埋め込まれている。けんどんに武者小路氏の筆で『座右宝』黒漆で横書きされている」。この漆箱に、バラのコロタイプ写真で絵画51図、絵巻15図、彫刻56図、建築及庭園28図が収納されているのである。

 藤枝が本多の骨折りで入手したのが昭和44年である。もう出てこないだろうと思っていた。送られて来た九州の古本屋屋の目録に、『座右寳』特製版を見つけたとき手が震えた。それに案外の安さであった。取り寄せてみると一枚の欠もなく、略目録もついた完本であった。

 コロタイプ写真の一枚一枚はどれも美しい。なかでも二枚続き見開き大版の龍安寺石庭がいい。藤枝静男に随筆「悪口」がある。龍安寺石庭は「『座右宝』に写されたころはもちろん、私がはじめて見たときにも、今のように厚ぼったく仰山に敷きつめられた砕石の白砂などなかった。まして熊手で石のまわりを円形になぞったり全体に筋目をいれたりして海に浮かぶ島さながらに見立てた演出なんかありはしなかった」。たしかに『座右寳』に写っている石庭は、清々しく凛としている。『座右寳』特製版はその後出てこない。

 藤枝静男は随筆「ボッシュ画集」に書いている。本多秋五、平野謙と神田の古本屋を漁っていて眼にしたものの「余りに重いので買うのをやめて帰りの新幹線に乗ったが、極端に嘲笑的で露骨でグロテスクで、しかも陰気っぽい画面の細部が繰り返し頭に蘇って消えないので、帰ってから平野に電話して頼んで買っておいてもらった」。この藤枝が入手したのと同じ Charles de Tolnay 著『ボッシュ画集』を、私も神田で見つけた。たしかに大きくて分厚い。重くて腰痛の心配もした。ボッシュ画集としては最高だと思われるものが、いま私の手元にある。これもまた戴きものである。

 金素雲の存在を知ったのも、藤枝の随筆「金素雲氏の新著を喜ぶ」、「金素雲さんの死を悼む」からである。金は韓国釜山生まれ。金の父は官吏という職責から親日派とみなされ同胞の銃弾に斃れる。12歳で単身石炭船に便乗し渡日。職を転々としながら夜間中学に学ぶ。岩波文庫『朝鮮詩集』、『朝鮮童謡選』、岩波少年文庫『ネギをうえた人』の著者である。金の『朝鮮詩集』の訳業に批判があるが、金の真心は『朝鮮童謡選』序文を読めばわかる。書棚に並ぶ金素雲の著書も、藤枝静男からの戴きものである。

 『北川冬彦詩集』と井伏鱒二『厄除け詩集』はごく最近書棚に加わった。

 藤枝は随筆「追憶」に書く。35歳でなくなった兄秋雄が、三高受験のとき縁あって三高生であった北川冬彦の下宿に泊めてもらう。藤枝は生前兄からそのことを聞かされることもなく、年老いた母の口からある日その事実を聞かされる。「生意気ばかりで素直でない私にそんなことを(兄は)告げる気がしなかったかも知れない」と書く。昭和26年刊行の『北川冬彦詩集』は林武のしゃれた装幀である。

    馬

   軍港を内蔵している。

 古本屋から届いた詩集をめくっていたら、この九文字の詩に出くわした。ああ、と思った。たしか昔教科書にあった詩ではないか。詩の世界に疎い私はこんなところである。藤枝静男に導かれて、この詩人の仕事に初めて眼を通している。

 私の好きな藤枝静男の小説に「雄飛号来る」がある。牧師秋田さんの手で漢詩を刻まれたステッキが出てくる。

   荒山秋日午 独上意悠々

   如何望郷処 西北是融州

 この漢詩の出典を調べていて、井伏鱒二にこの詩の訳のあるのを知った。『厄除け詩集』に収録されている。

   アキノオンタケココノツドキニ ヒトリノボレバハテナキオモイ

   ワシノ在所ハドコダカミエヌ イヌイノカナタハヒダノヤマ

 井伏のこの訳が有名であることも、私はこうして知らされるのである。遅ればせではあるが、藤枝静男からの戴きものによって私の視野も少しは広がっていく。




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