昭和五八年(一九八三年)   七五歳

二月、創作集『虚懐』を講談社から刊行。同月、本多秋五『古い記憶の井戸』の読売文学賞授賞式に出席。三月、『志賀直哉全集』パンフレットに推薦文「マガイのない文学」。「ハムスターの仔」を『群像』四月号に発表。六月、浜名湖会。『週刊読書人』六月一三日号でインタビュー「『私小説』概念の破壊作業」。八月、次女親子とヨーロッパ旅行。この年一月に里見?、三月に尾崎一雄、小林秀雄が死去。

 

わたしの浜名湖賛 ─万葉の黎明ここに  
「中日新聞・静岡版」一月一日  随筆(単行本未収録 浜松文芸館に藤枝静男自身による切り抜きがあり、「賛」を抹消するなど訂正の書き込みがある。いずれ随筆集に収録する心づもりであったかも知れない)

毛利孝一随筆集『命ふたたび』に就いて   
「海」一月号  書評(毛利は第八高等学校の同級生である。藤枝に毛利孝一著『幕がおりるとき』書評昭和五三年もある。単行本未収録)

一九八二年の成果   
「文藝」一月号  アンケート(単行本未収録 大庭みな子『寂兮寂兮』、本多秋五『古い記憶の井戸』をあげている。二冊とも藤枝は書評を書いている)

里見?氏を偲ぶ   
「朝日新聞」一月二四日夕刊  追悼(単行本未収録。里見では「里見さんの恩」昭和五三年がある)

マガイのない文学   
岩波書店『志賀直哉全集』パンフレット(三月)  推薦文(本全集は志賀直哉生誕一〇〇年記念として、昭和四八年から四九年にかけて刊行された『志賀直哉全集』に新資料増補一巻を加えた全一六巻ものとして再刊された。単行本未収録。 眼にふれる機会も少ないだろう。以下全文。「志賀さんの新しい全集が出版されるとのことで大変うれしい。今年の一月二十一日里見?氏が九十四歳を以て死去され、これで白樺派の人々はことごとく世を去られたが、私にとって志賀さんは、一九二八年の八月二日に初めて奈良市幸町の元聯隊長の家だったとかいうお宅を訪ねる以前から五十余年の現在にいたるまで、かわることなく芸術家─人間として仰ぎみてきた人である。自己に対しても芸術に対してもつねに厳しく正直であり、他人に対してもまたつねに正直であり温かであった。このことが『ごく自然に』随筆や作品のうえに現れてマガイのないことも稀有である。わたしは今度の全集でこのことを一層深く広く、また子細に識る機会を与えられることを楽しみにし、また期待しているものの一人である」。本パンフレットは阿川弘之が「発刊にあたって」。推薦文は藤枝の他に庄野潤三「おかしみ、浄福」、高橋英夫「男性的な、神話的な…」。なお藤枝静男は『志賀直哉全集』の編集委員になることはなかった。このことでは阿川弘之「小さな真実」─「群像」平成五年七月号がある)

ハムスターの仔    
「群像」四月号  小説(冒頭書いている学位論文は「日本眼科学会雑誌第四六巻第一〇号」昭和一七年一〇月二八日発行に掲載の勝見次郎論文「 P ─ Aminobenzolsulfonacetamid ( Albucid )ノ『イオントフォレーゼ』ニ關スル實驗的研究」である。指導教官は千葉医大眼科学教室主任伊東教授である。/このための蛭を使った実験については、「明るい場所」昭和三三年、「手児奈の眉ずみ」昭和三四年、「みんな泡」昭和五六年でも書いている。/父鎮吉が使った薬研については、その写真とともに「薬研・墨壷・匙」昭和五一年がある。ハムスターについては「ゼンマイ人間」昭和五五年、「みんな泡」昭和五六年、「虚懐」昭和五七年でも書いている)       

 

 

収録─作品集『今ここ』(平成八年講談社)

 

小林秀雄氏の想い出   
「文學界」五月号  追悼(  冒頭の一節を除き「志賀直哉・小林秀雄両氏との初対面」昭和三二年の改稿)

尾崎さんのこと   
「連峰」五月号  追悼(『尾崎一雄─人とその文学』に収録。尾崎一雄については「尾崎一雄氏の文化勲章」昭和五三年の項参照)

山中自動車散歩  
「読売新聞」五月二〇日夕刊  随筆(  文中のTさんについては「武井衛生二等兵の証言」の項参照)

熊野の長藤   
『百人一樹 中卷』(五月二五日書房「樹」)  随筆(熊野〔ゆや〕の長藤は樹齢推定八五〇年、根回り二・九米、樹高二・五米、所在地は静岡県磐田郡豊田町池田三三〇〔行興寺〕 単行本未収録)

変化ある筋立て   
「群像」六月号  選評(第二六回群像新人賞 単行本未収録。本号に座談会「尾崎一雄・人と文学」丹羽文雄・円地文子・藤枝静男・阿川弘之)

立原君のこと   
『立原正秋全集第一四巻』(七月一二日角川書店)月報12  随筆(単行本未収録 新装版『立原正秋全集第一巻』(平成九年四月)月報1に再録)

カジミーロフさんのこと   
「中央公論」八月号  随筆(単行本未収録 カジミーロフについては「キエフの海」昭和四六年がある) 

弁天島会同   
「日本経済新聞」八月七日朝刊  随筆(  藤枝静男の手で各所に訂正が書き込まれた切り抜きが浜松文芸館にある。他にもそうした切り抜きがあり、第六随筆集の刊行を考えていたかもしれない。死後刊行された作品集『今ここ』には本紙発表のまま収録。この随筆でTさんに迷惑をかけたことを、「大赤字美術館館長その後」昭和五九年で謝っている。文中のTさんについては「武井衛生二等兵の証言」の項参照)  

行って帰った・女スリを撃退した   
「群像」一一月号  随筆(  靖国神社境内の遊就館のことでは、「みんな泡」昭和五六年がある)

ざざんざ織り讃   
創業五〇年記念『颯々織』(一二月二五日、茜屋発行)一〇〇部限定  随筆(単行本未収録 茜屋当主の平松實は、藤枝静男も入っていた「方寸会」のメンバー。なお「平松實─浜松の民芸運動─展」図録平成元年浜松美術館がある。あかね屋の栞に「ざざんざ織は、あかね屋初代、平松実が創作した絹織物です。ざざんざの名称は、古くより浜松に『颯々〔ざざんざ〕の松』という有名な松があり、潮風に冴え常盤の彩かわらぬ千古の翠色を連想させるその松にあやかって命名しました」とある。本書の編集者である「あかね屋」二代目平松哲司氏より本書をいただく)


創作集『虚懐』  
昭和五八年二月二〇日  講談社刊
装  幀 辻村益朗
収録作品 みな生きもの みな死にもの/ゼンマイ人間/やっぱり駄目/二ハ二/みんな泡/黒い石/人間抜き/虚懐/またもや近火 生前刊行された最後の著書。本書には「あとがき」はない。

『虚懐』書評            
川村二郎「群像」四月号・富士正晴「中央公論」六月号(『乱世人間案内』昭和五九年影書房)・鈴木貞美「日本読書新聞」四月四日号・倉本四郎「週刊ポスト」四月一五日号・山崎春美「宝島」八月号・鈴木俊平「不詳」(『文学的グリンプス 1983 〜 1986 』昭和六二年審美社)・匿名「朝日新聞」四月二五日朝刊・匿名「読売新聞」三月二一日朝刊



        

 

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