金素雲さんの死を悼む
「新潮」一月号 追悼( 今 「金素雲氏の新著を喜ぶ」昭和五五年の項参照。文中戦前金が「中央公論」に発表した話をめぐっての、金と志賀直哉のやりとりが紹介されている。「中央公論」に書いたのは「昭和十年ころ」とあるが、正確には「中央公論」昭和一五年三月号である。「朝鮮郷土叢話」と題して三話。その一つが「蓮花話」である。昭和一五年といえば金が朝鮮詩集『乳色の雲』を刊行した年である。全く関係ないが編者の生まれた年でもある)
仲間との会合
「中日新聞」一月五日夕刊・「東京新聞」一月一三日夕刊 随筆(埴谷雄高が招集した忘年会のことを書いている。「一人前一万五千円の料理だというから、埴谷君には大散在させたわけだ」とある。単行本未収録)
兄弟子
『尾崎一雄全集第一巻』(二月二〇日筑摩書房)月報1 随筆(単行本未収録)
鶴屋南北調の凄み─円地文子『鵜戯談』
「群像」三月号 書評(単行本未収録)
文学者の反核声明─私はこう考える
「すばる」五月号 アンケート(単行本未収録 一月二〇日に発表された「核戦争の危機を訴える文学者の声明」に対する「すばる」編集部からのアンケート。「私は一対一の殺し合いでも人殺しには絶対反対ですから、核装備など論外で留保の余地はありません」と答えている。/このときの「文学者の声明」については『岩波ブックレットNo・1 反核─私たちは訴える』が詳しい。同書に署名者一覧があり藤枝静男の名もある。「戦後ということ」昭和四二年では「私は殺し合いは、たとえ勝っても、そのこと自体が悪いことなのだからやめろ、と言う他ないと思っている」「私自身は、そのときになったら、どんな目に合っても戦争に反対する決心をしている。それが私の『戦後』である」と書いている。/「暗いクリスマス」昭和三六年では、ニュールンベルグ裁判でナチス戦犯を追求したソ連裁判官とソ連の水爆実験との齟齬を突いている)。
銀座知らず
「銀座百点」五月号 随筆(単行本未収録 「銀座百点」は表紙が素晴らしい。本号の表紙は近岡善次郎)
読後感
「群像」六月号 選評(第二五回群像新人賞 単行本未収録)
壷あれこれ
「The骨董」第五集(六月二一日) 随筆(単行本未収録 「ウラジミールの壷」昭和四六年で取り上げた壷の写真。この日用雑器は、藤枝静男の手で箱書きされた箱に収められている。平成二〇年の「藤枝静男展」で展示された。藤枝静男は箱書きを好んだが、このことについては「武蔵川谷右エ門・ユーカリ・等々」昭和五九年の項参照)
本多秋五『古い記憶の井戸』を読んで
「文學界」八月号 書評( 今 ・『本多秋五全集別巻一』に収録。『古い記憶の井戸』の第一部初期習作の章に八高時代の親友北川静男追悼文集『光美眞』に寄せた文がある。平野謙が『はじめとおわり』(昭和四六年)に初期習作として『光美眞』に寄せた文を収録したことと対をなすと云えよう。なお藤枝静男は『藤枝静男著作集第五卷』に『光美眞』に寄せた文を収録している。『光美眞』昭和五年の項参照)
芹沢?介美術館
「季刊みづゑ」第九二四号(九月二五日) 随筆(単行本未収録 芹沢?介美術館は昭和五六年六月に開館。芹沢の作品は云うまでもないが、芹沢が収集した膨大なコレクションが見もの。藤枝は美術館に確認の電話を入れる。「月曜は休館、翌火曜日は皇太子夫妻が来られるから一般人は駄目」といわれて水曜日に出かけて行く。分厚いソファーがあり一服したかったが警備員から「きのうここにおふたりが座られました。あなたもどうぞ」と云われたので藤枝は座るのをやめる。皇太子夫妻では「みな生きもの みな死にもの」昭和五四年で、絶え間なく微笑している皇太子夫妻について書いている。/本号特集「未完と完成」─坂本繁二郎と青木繁・古賀春江・関根正二・佐伯祐三。また「マケドニア・聖堂イコン」の記事。届いた本号を興味深く眺めている藤枝の姿が目に浮かぶ。「ある姿勢」昭和四三年で坂本繁二郎。中野嘉一『古賀春江』書評昭和五三年で古賀春江。「まぐれ当り」、木村浩『ロシアの美的世界』書評昭和五二年でロシア・イコン)
虚懐
「群像」九月号 小説(タイトルの「虚懐」について藤枝静男は、「週刊読書人」昭和五八年六月一三日号のインタビュー「『私小説』概念の破壊作業」のなかで、夏目漱石が死の十数日前につくった七言律詩「無題」からとったと語っている。「眞蹤寂寞杳難尋 欲抱虚懐歩古今 碧水碧山何有我 蓋天蓋地是無心 依稀暮色月離草 錯落秋聲風在林 眼耳雙忘身亦失 空中獨唱白雲吟」〔眞蹤(しんしょう)は寂寞として杳(は)るかに尋ね難く 虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す 碧水碧山 何ぞ我れ有らん 蓋天蓋地 是れ無心 依稀(いき)たる暮色 月は草を離れ 錯落(さくらく)たる秋声 風は林に在り 眼耳(がんじ)双つながら忘れて身も亦た失い 空中に独り唱う白雲の吟〕注・眞蹤=ほんとうの道、虚懐=私のない心、依稀=おぼろなる─『夏目漱石全集第一二巻』昭和四二年岩波書店。藤枝は「日記」昭和五九年でも漱石の詩の草稿を引用している。藤枝は同インタビューで「つまり懐がからっぽということだよ。実際この通りでねえ。本当にからっぽの感じだよ、このごろは」と「虚懐」について語っている。/「水月観音」について「大きな仏教美術展」の東慶寺のそれはとあるが、昭和五三年奈良国立博物館で開催された「日本仏教美術の源流」展に展示されたもの。同展図録一〇六頁に図版。なお本展について上原昭一との藤枝静男の対談がある─「芸術新潮」昭和五三年六月号「仏像の表情を語る」。この石の「水月観音」を置いたところは黄ソケイの根元である。黄素馨はソケイの一種。初夏に鮮黄色の花が咲く。ヒマラヤ地方原産の常緑低木。/また瀧井孝作とのことで「私はそのころ『空気頭』というヤケッパチみたいな小説を書き、その冒頭で瀧井さんの私小説についての言葉を引用していたのでそれが氏の気に入らなかったのだろうと考えた」と書いている。編者は昭和三二年のところで、藤枝宛の瀧井の便りが昭和四三年五月を最後にしていると記しておいた。「空気頭」昭和四二年、「欣求浄土」昭和四三年への瀧井の反応かと考えている。/阿川弘之は藤枝静男追悼文「小さな真実」で、藤枝が『志賀直哉全集』の編集委員になれなかったのは瀧井の強い反対があったからだと明かしている。ことの真偽はさだかでないが、そうしたことがあったかも知れない。瀧井に法帳を見せられる場面は「ゼンマイ人間」昭和五五年でも書いている。贈った大徳寺の和尚の書を志賀直哉から返される話は、「落第免状」昭和四〇年に書いている) |