昭和五七年(一九八二年) 七四歳

「黒い石」を『海燕』一月号(創刊号)に、「人間抜き」を『海』一月号に発表。同月、「核戦争の危機を訴える文学者の声明」が出された。その署名者一覧に藤枝静男の名がある。六月、浜名湖会。「虚懐」を『群像』九月号に、「またもや近火」を『群像』一〇月号に発表。八月から刊行の『立原正秋全集』の監修。なおこの年、勝又浩が『群像』四月号に「冬の王の歴史─藤枝静男論」(『求道と風狂』 1985 年構想社収録)を書いている。

 

黒い石    
「海燕」一月号  小説(「私がたてた新しい墓は、実は数年前にこしらえて生まれ故郷藤枝にある菩提寺の墓地にちゃんと立っている」とあるが、墓を造ったことを「ヨーロッパ寓目」昭和四六年で書いている。その記述によれば造ったの昭和四五年である。日記一九冊を焼却したことに続けて「自分で字を書いて墓を造った。墓石がはじめ北欧から輸入の硬い黒花崗岩だというので喜んでいたら実はアフリカ産だったので少し苦笑した」と書いている。実際の墓碑にも「昭和四十五年次郎摸建之」とある。本作からは十余年も前のことになる。/また「北ヨーロッパのノルウェー、フィンランド方面に行ってフィヨルドや道ばたの両側によく見かけた硬く黒く光った岩石を眺めて『自分の墓石はこういうやつが好いな』などと思ったことにも関係があるだろう」とあるが、藤枝の北欧旅行は昭和四九年である。サラリと書かれていて読者は事実と騙されてしまうが、年月や前後関係に作品としての作為がある。/実際の藤枝静男の墓碑を観察する。右側面は次のように刻まれている。「大正五年三月勝見鎮吉建之 昭和四十五年六月次郎摸建之」。また向かって左側面は現在次のように刻まれている。「了道自鎮居士昭和十七年三月五日鎮吉七十才 了室妙壽大姉昭和四十七年十二月二十五日ぬい九十二才 秋叟禪雄居士昭和十三年九月四日秋雄三十六才 春岳道光居士昭和四十七年二月四日宣夫 藤翁静誉居士平成五年四月十六日次郎八十五才」。妻智世子の名はない。/自分が墓に入るときは「書斎の本棚の隅にあるトルストイの墓の土饅頭から盗んできた土とガンジーの墓上から拾ってきた花をばら撒いて閉ざしてもらいたい」とある。このことでは「みな生きもの みな死にもの」昭和五四年で、皇太子夫妻が絶え間なく微笑していることと対比してガンジーの人間らしい振る舞いについて書いている。/硯のことがある。「武蔵川谷右エ門・ユーカリ・等々」昭和五九年で本多秋五の兄本多静雄から貰った模造「宝珠硯」について書いている)

 

 

収録─創作集『虚懐』

 

人間抜き   
「海」一月号  小説(四年余り前、雉鳩の卵が蛇に呑まれてしまったことは「雉鳩帰る」昭和五三年に書いている。本作の犯人は野良猫である)

 

 

収録─創作集『虚懐』

 

金素雲さんの死を悼む   
「新潮」一月号  追悼(  「金素雲氏の新著を喜ぶ」昭和五五年の項参照。文中戦前金が「中央公論」に発表した話をめぐっての、金と志賀直哉のやりとりが紹介されている。「中央公論」に書いたのは「昭和十年ころ」とあるが、正確には「中央公論」昭和一五年三月号である。「朝鮮郷土叢話」と題して三話。その一つが「蓮花話」である。昭和一五年といえば金が朝鮮詩集『乳色の雲』を刊行した年である。全く関係ないが編者の生まれた年でもある)

仲間との会合   
「中日新聞」一月五日夕刊・「東京新聞」一月一三日夕刊  随筆(埴谷雄高が招集した忘年会のことを書いている。「一人前一万五千円の料理だというから、埴谷君には大散在させたわけだ」とある。単行本未収録)

兄弟子   
『尾崎一雄全集第一巻』(二月二〇日筑摩書房)月報1  随筆(単行本未収録)

鶴屋南北調の凄み─円地文子『鵜戯談』   
「群像」三月号  書評(単行本未収録)

文学者の反核声明─私はこう考える   
「すばる」五月号  アンケート(単行本未収録 一月二〇日に発表された「核戦争の危機を訴える文学者の声明」に対する「すばる」編集部からのアンケート。「私は一対一の殺し合いでも人殺しには絶対反対ですから、核装備など論外で留保の余地はありません」と答えている。/このときの「文学者の声明」については『岩波ブックレットNo・1 反核─私たちは訴える』が詳しい。同書に署名者一覧があり藤枝静男の名もある。「戦後ということ」昭和四二年では「私は殺し合いは、たとえ勝っても、そのこと自体が悪いことなのだからやめろ、と言う他ないと思っている」「私自身は、そのときになったら、どんな目に合っても戦争に反対する決心をしている。それが私の『戦後』である」と書いている。/「暗いクリスマス」昭和三六年では、ニュールンベルグ裁判でナチス戦犯を追求したソ連裁判官とソ連の水爆実験との齟齬を突いている)。

銀座知らず   
「銀座百点」五月号  随筆(単行本未収録 「銀座百点」は表紙が素晴らしい。本号の表紙は近岡善次郎)

読後感   
「群像」六月号  選評(第二五回群像新人賞  単行本未収録)

壷あれこれ   
「The骨董」第五集(六月二一日)  随筆(単行本未収録 「ウラジミールの壷」昭和四六年で取り上げた壷の写真。この日用雑器は、藤枝静男の手で箱書きされた箱に収められている。平成二〇年の「藤枝静男展」で展示された。藤枝静男は箱書きを好んだが、このことについては「武蔵川谷右エ門・ユーカリ・等々」昭和五九年の項参照)

本多秋五『古い記憶の井戸』を読んで   
「文學界」八月号  書評( ・『本多秋五全集別巻一』に収録。『古い記憶の井戸』の第一部初期習作の章に八高時代の親友北川静男追悼文集『光美眞』に寄せた文がある。平野謙が『はじめとおわり』(昭和四六年)に初期習作として『光美眞』に寄せた文を収録したことと対をなすと云えよう。なお藤枝静男は『藤枝静男著作集第五卷』に『光美眞』に寄せた文を収録している。『光美眞』昭和五年の項参照)

芹沢?介美術館 
 「季刊みづゑ」第九二四号(九月二五日)  随筆(単行本未収録 芹沢?介美術館は昭和五六年六月に開館。芹沢の作品は云うまでもないが、芹沢が収集した膨大なコレクションが見もの。藤枝は美術館に確認の電話を入れる。「月曜は休館、翌火曜日は皇太子夫妻が来られるから一般人は駄目」といわれて水曜日に出かけて行く。分厚いソファーがあり一服したかったが警備員から「きのうここにおふたりが座られました。あなたもどうぞ」と云われたので藤枝は座るのをやめる。皇太子夫妻では「みな生きもの みな死にもの」昭和五四年で、絶え間なく微笑している皇太子夫妻について書いている。/本号特集「未完と完成」─坂本繁二郎と青木繁・古賀春江・関根正二・佐伯祐三。また「マケドニア・聖堂イコン」の記事。届いた本号を興味深く眺めている藤枝の姿が目に浮かぶ。「ある姿勢」昭和四三年で坂本繁二郎。中野嘉一『古賀春江』書評昭和五三年で古賀春江。「まぐれ当り」、木村浩『ロシアの美的世界』書評昭和五二年でロシア・イコン) 

虚懐   
「群像」九月号  小説(タイトルの「虚懐」について藤枝静男は、「週刊読書人」昭和五八年六月一三日号のインタビュー「『私小説』概念の破壊作業」のなかで、夏目漱石が死の十数日前につくった七言律詩「無題」からとったと語っている。「眞蹤寂寞杳難尋 欲抱虚懐歩古今 碧水碧山何有我 蓋天蓋地是無心 依稀暮色月離草 錯落秋聲風在林 眼耳雙忘身亦失 空中獨唱白雲吟」〔眞蹤(しんしょう)は寂寞として杳(は)るかに尋ね難く 虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す 碧水碧山 何ぞ我れ有らん 蓋天蓋地 是れ無心 依稀(いき)たる暮色 月は草を離れ 錯落(さくらく)たる秋声 風は林に在り 眼耳(がんじ)双つながら忘れて身も亦た失い 空中に独り唱う白雲の吟〕注・眞蹤=ほんとうの道、虚懐=私のない心、依稀=おぼろなる─『夏目漱石全集第一二巻』昭和四二年岩波書店。藤枝は「日記」昭和五九年でも漱石の詩の草稿を引用している。藤枝は同インタビューで「つまり懐がからっぽということだよ。実際この通りでねえ。本当にからっぽの感じだよ、このごろは」と「虚懐」について語っている。/「水月観音」について「大きな仏教美術展」の東慶寺のそれはとあるが、昭和五三年奈良国立博物館で開催された「日本仏教美術の源流」展に展示されたもの。同展図録一〇六頁に図版。なお本展について上原昭一との藤枝静男の対談がある─「芸術新潮」昭和五三年六月号「仏像の表情を語る」。この石の「水月観音」を置いたところは黄ソケイの根元である。黄素馨はソケイの一種。初夏に鮮黄色の花が咲く。ヒマラヤ地方原産の常緑低木。/また瀧井孝作とのことで「私はそのころ『空気頭』というヤケッパチみたいな小説を書き、その冒頭で瀧井さんの私小説についての言葉を引用していたのでそれが氏の気に入らなかったのだろうと考えた」と書いている。編者は昭和三二年のところで、藤枝宛の瀧井の便りが昭和四三年五月を最後にしていると記しておいた。「空気頭」昭和四二年、「欣求浄土」昭和四三年への瀧井の反応かと考えている。/阿川弘之は藤枝静男追悼文「小さな真実」で、藤枝が『志賀直哉全集』の編集委員になれなかったのは瀧井の強い反対があったからだと明かしている。ことの真偽はさだかでないが、そうしたことがあったかも知れない。瀧井に法帳を見せられる場面は「ゼンマイ人間」昭和五五年でも書いている。贈った大徳寺の和尚の書を志賀直哉から返される話は、「落第免状」昭和四〇年に書いている)

 

 

時評─奥野健男「未詳」八月二八日未詳(『奥野健男文芸時評 1976 〜 1992 (上)』)・川西政明「すばる」一〇月号・川村二郎「文藝」一〇月号(『文芸時評』)

合評─坂上弘・高井有一・磯田光一「群像」一〇月号

収録─創作集『虚懐』・『昭和文学全集 17 椎名麟三・平野謙・本多秋五・藤枝静男・木下順二・堀田善衛・寺田透』・『老人文学傑作選』(平成二年筑摩書房)
 

またもや近火    
「群像」一〇月号  小説(麻薬アトロピンについては巷談「美女と外人と疑獄」昭和三三年の項参照。「私」は焼け跡の片付けで「ズリ歩いている」ブルを「飽きることなく眺め下ろしている」。「田紳有楽」の億山は、リモコン飛行機が宙返りしたり着陸でひっくりかえり「背中と尻でちょっとずり廻ってとまる」のをポチャついたホステスとならんで「飽きずにそれを眺めてい」る。本号創作合評で「虚懐」)

 

 

時評─川村二郎「文藝」一一月号(『文芸時評』)

収録─創作集『虚懐』

 

『寂兮寥兮』に就いて─大庭みな子『寂兮寂兮』を読む   
「文藝」一〇月号  書評(単行本未収録 大庭みな子についてはこの他「韓国の日々」昭和五三年、「弁天島会同」昭和五八年で書いている。また『大庭みな子全集』の装幀に藤枝作の印が使われている。大庭が藤枝について書いているものに『藤枝静男著作集第三巻』月報「怪僧」昭和五一年、「藤枝静男と加賀乙彦」群像昭和五七年一一月号、追悼「春の海」文學界平成五年七月号、「木立─逝ってしまった先達たち」神奈川近代文学館報平成一二年一月、「バリ島紀行─藤枝静男さんのこと」群像平成一四年八月号、ほかに小島信夫・大庭みな子対談「『別れる理由』の現在」群像昭和五六年四月号で。/なお「文藝」本号の川村二郎文芸時評で「虚懐」)



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