青銅瓶 ─「骨董夜話」連載1
「太陽」一月号 随筆( 茫 本連載には写真が添えられている)
箪笥・版画・戦後派文学
「文學界」一月号 随筆( 茫 )
木彫小地蔵尊 ─「骨董夜話」連載2
「太陽」二月号 随筆( 茫 )
青織部菊皿 ─「骨董夜話」連載3
「太陽」三月号 随筆( 茫 )
二流品・無流品
「銀座百点」三月号 随筆( 茫 本号の表紙は風間完)
チベットの短剣と骨笛 ─「骨董夜話」連載4
「太陽」四月号 随筆( 茫 「田紳有楽」で主人億山が骨笛をふく場面がある。「チベットと云えば、この数日来、池の斜めうえの二回にある主人億山の書斎から、しきりに素っとんきょうな笛の音が聞こえてきて私の郷愁をさそってやまないのである。音律も強弱も何もない、ただ子供が力いっぱい竹の筒に息をふきこんでいるような、短くて甲高い、のっぺらぼうな音だけれど、耳を澄ませて聞き入っているうちに」「身をむしられるような愁いに胸を襲われるのだ」。/現在藤枝家に短剣はあるが、骨笛は行方不明。本号掲載の写真でしか見ることが出来ない)
妻の遺骨 ─あの美術館の中庭で起こったこと
「毎日新聞」三月二八日夕刊 随筆( 茫 ・『日本の名随筆8死』昭和五八年作品社刊に収録)
京伝の扇面 ─「骨董夜話」連載5
「太陽」五月号 随筆( 茫 )
著作集を終えて
『藤枝静男著作集第六卷』(五月二八日講談社) 自著あとがき(「この最後の卷の署名をその病床のかたわらで終えた数日後の二月二十六日、。最愛の妻を失った。その霊にこの著作集を捧げたい。私事として記すことを許されよ」とあとがきを結んでいる。 単行本未収録)
初期伊万里小壷 ─「骨董夜話」連載6(完)
「太陽」六月号 随筆( 茫 )
跋文
「群像」六月号 随筆(本号の平野謙「恩賜賞受賞のこと」のなかで平野は「私個人として当日の特筆大書すべきことは、署名簿の最後に、藤枝静男がつぎのような跋文を書いてくれたことである」として引用。これは本多秋五と藤枝静男の世話で開かれた平野謙『昭和文学私論』出版記念会(恩賜賞受賞祝賀会)でのことである。平野の恩賜賞受賞に対し批判する者もいたなかでのことであった。跋文の最後に「一九七七年四月十二日夕、世話人藤枝静男記ス」。 茫 なお平野謙の恩賜賞受賞のことで本多秋五「芸術院恩賜賞のことなど」文学界昭和五四年八月号がある)。
雛祭り
「海」八月号 小説(文中の「マアちゃん」、そして「或る年の冬 或る年の夏」の「沖」は俳人岡田鈴石がモデルである。藤枝市・向善寺に岡田の墓がある。岡田鈴石については、鈴木貞子「岡田鈴石ノート」─『藤枝文学舎ニュース』第九号〜第一二号が詳しい。/文中出てくる映画「首の座」については「或る年の夏」の項参照。「浪人街」は「首の座」と同じく山上伊太郎原作脚色、マキノ正博監督。昭和三年から四年にかけて第一話「美しき獲物」、第二話「楽屋風呂」、第三話「憑かれた人々」と製作されている。ちなみに第三話の広告文「尖鋭化せる山上伊太郎蒼白の筆致と、雄渾にして微妙なるマキノ正博の近代的タッチに、三木稔のキャメラの妙を配して武家政治下に於ける浪人群の歓喜、憂鬱、豪快、自棄、耽溺、を描いて餘すところなし。反面有閑階級の悪徳、奸悪商人のからくりを暴露し批判して、冷徹骨を刺すの感あらしむ。正にこれ第八藝術の最尖端。昭和四年度最優秀作品中の最高峰。ああマキノの『浪人街』、日本の『浪人街』、世界の『浪人街』!」キネマ旬報昭和四年一一月一一日号。第三話はキネマ旬報ベストテンの第三位になったが、前年第一位になった「首の座」同様興行的には失敗であったようだ。この時のことをマキノ自身が『映画渡世・天の巻』昭和五二年平凡社で語っている。/最後の方で「妹はクリスチャンである」とある通り、藤枝市岳叟寺にある実際の勝見家累代の墓に妹きくの名はない。/妻が「わたしはこのお墓に入るのはいやです」という場面は、「空気頭」昭和四二年でも書き、このあとの「悲しいだけ」でも書いている。妻の「宙に浮いた小骨片一個」とは、「妻の遺骨」にある大原美術館から突き返された妻の骨片である。モデルについての本書の立場は「春の水」昭和三七年の項に書いた。/なお「海」本号に埴谷雄高「逆光のなかの白内障」─眼科医としての藤枝静男のこと) |