古代人の生活の跡
『ふるさと百話 第一三巻』(四月一五日静岡新聞社) 帯文(単行本未収録)
仏さまの功徳 ─「窓辺」欄連載(一)
「静岡新聞」五月二日夕刊 随筆(単行本未収録 「偽仏真仏」にある水上勉への阿弥陀如来像の贈呈のこと)
仏さまの功徳 ─「窓辺」欄連載(二)
「静岡新聞」五月九日夕刊 随筆(単行本未収録 水上がお礼として藤枝に石仏を贈ったことなど。このことは水上が『藤枝静男著作集第六巻』月報に書いている)
当てずっぽう
『中川一政文集第一巻』(五月一五日筑摩書房)月報一 随筆( 小 ・ 2 ・『夏炉冬扇─中川一政論集成』平成五年沖積社。 文中の吉井画廊「白樺派とその周辺─書画展」の会期は昭和四九年一二月一〇日〜一二月二四日。中川の作品では「草枯れし監獄の横」油彩 22,5 × 31.5 一九二〇年が図録に掲載されている。最後に「この頃の仕事を見ると、全身にトゲが生えた人間のようで気味の悪いところがある」と書いている。このことでは坂上弘と藤枝の対談「文学と社会倫理」昭和五〇年で「もうちょっと棘が生えたようにやりたいんですよ。人間というのは、ほかのものでもそうかもしらんけれども、丸くなって落ち着いて、それで消えていくという形もありますけれども、ほかのいろんな要素を含んでいる。頭の中にも持っているし、欲望も持っているし、自分でもよくわからないものも、ほんとうはおなかの中にあるから、それを書いてやろうと思っているんです。それを書けば、形にすると、なんだか棘が生えたような、へんなものになるんじゃないか」と語っている)
仏さまの功徳(追加) ─「窓辺」欄連載(三) 「静岡新聞」五月一六日夕刊 随筆(単行本未収録 今度出す随筆集の装幀の打ち合わせとあるが『小感軽談』であろう。装幀は辻村益朗。また文中の「醍醐寺密教美術展」は 3.18 〜 4.29 東京国立博物館)
尾崎さんのこと 旺文社文庫・尾崎一雄『まぼろしの記・他五篇』(五月二〇日旺文社) 解説(『尾崎一雄─人と文学』昭和五〇年三月永田書房に収録)
発奮奇談 ─「窓辺」欄連載(四)
「静岡新聞」五月二三日夕刊 随筆(単行本未収録 下宿の押し入れにあったズロースが先住者の女飛行士のものだと下宿の婆さんから知らされて発奮した人の話)
落ちた飛行機 ─「窓辺」欄連載(五)
「静岡新聞」五月三〇日夕刊 随筆(単行本未収陸 女飛行士の飛行機の墜落。この出来事は「しもやけ・あかぎれ・ひび・飛行機」のモティーフの一つ)
ゆで卵 ─「窓辺」欄連載(六) 「静岡新聞」六月六日夕刊 随筆(単行本未収録 幼い頃家族で蓮華寺池の西岸から富士見平に登って半日を楽しんだときのこと)
藤枝─静岡─東京 ─「窓辺」欄連載(七)
「静岡新聞」六月一三日夕刊 随筆(単行本未収録 「少年時代」で書いている父と一緒に静岡の街に一斉に灯が点るのを眺めたことと、東京への進学。このことで成蹊実務学校に進んだのは「多分となりのメソジスト教会の牧師」「福島さんの世話によるものだったと思うが」と書いている。福島の勧め、そしてまた「渋谷道玄坂の福島さんの実家」を受験の宿として利用させてもらったことはあっても、息子次郎を東京に進学させるについては父鎮吉の主体的判断があったように編者には思われる。『藤枝教會九十年記念誌』の年表によれば、大正六年に福島重義牧師着任とある。藤枝静男が小学校四年生のときにあたる。「少年時代のこと」昭和四七年の項参照)
人をひきつけるもの
『ふるさと百話 第一四巻』(六月二〇日静岡新聞社) 帯文(単行本未収録)
白ざくろ ─「窓辺」欄連載(八)
「静岡新聞」六月二〇日夕刊 随筆(志賀直哉と白ざくろについては、「志賀さんのこと」昭和四六年、「白柘榴」昭和四七年がある。 単行本未収録)
文芸時評・七月号(上) ─迫る?妄想の格闘?─埴谷雄高「夢魔の世界」・べとつく女の甘え─宇野千代「八重山の雪」
「東京新聞」六月二五日夕刊・「中日新聞」六月二八日夕刊 文芸時評( 「文芸時評 昭和 50 年6月 」として 4 。埴谷雄高「夢魔の世界」評の箇所が「詩人的才能を示す埴谷雄高『夢魔の世界』(『死霊』第五章)─藤枝静男」として『作家の世界 埴谷雄高』昭和五二年番町書房刊。さらにその一部が『埴谷雄高全集』全一九巻出版案内パンフレット)
文芸時評・七月号(下) ─鮮烈な詩的感覚─三木卓「魔に擽られて」・?女の業?映す力作─高橋揆一郎「氷かんざし」
「東京新聞」六月二六日夕刊・「中日新聞」六月三〇日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年6月 」として 4 。高橋揆一郎「氷かんざし」評の箇所が高橋揆一郎『観音力疾走・木偶おがみ』昭和五三年東京新聞出版局刊の帯)
志賀さん来浜 ─「窓辺」欄連載(九)
「静岡新聞」六月二七日夕刊 随筆(単行本未収録 静男巷談の「小説の神様の休日」とほぼ同じ)
志賀直哉・天皇・中野重治
「文藝」七月号 評論(このとき中野重治は藤枝静男宛に葉書を出している。(1)、(2)と番号をふったクセのある書体の二枚である。「も一枚を書いてしまってから、もう少し読んで、すると大分よむことになり、志賀さん関係のところ大分よくわかってきました。自分のこともよくわかってきました云々」。この中野の葉書を「高麗人形のことなど」昭和五四年で藤枝は引用している。/なお平野謙は『藤枝静男著作集第五巻』月報の「四方八方からの論」でこの「志賀直哉・天皇・中野重治」を高く評価している。また平野謙の日記がある。平野は昭和五一年五月に食道癌の手術を受け六月に退院。その自宅療養中の九月一九日の日記である。「藤枝静男ノ『田紳有楽』ヲ読了。ヨクワカラヌ。次手ニ著作集第一巻の志賀直哉ノ項目ヲ読了。ヤハリ『志賀直哉・天皇・中野重治』ニ感心ス」。平野は『田紳有楽』が谷崎賞を受賞したのであらためて読み直したのであろう。そして親友平野の感想は「田紳有楽」は「ヨクワカラヌ」で、「志賀直哉・天皇・中野重治」には「感心ス」であった。天皇については、「皇居拝観」昭和三五年、「明治村」昭和四一年と東京新聞文芸時評一二月号(上)の項参照。 茫 ・ 1 )
推理小説 ─「窓辺」欄連載(一〇)
「静岡新聞」七月四日夕刊 随筆(単行本未収録 「古本屋ケメトス」とほぼ同じ)
泥棒 (一)─「窓辺」欄連載(一一)
「静岡新聞」七月一一日夕刊 随筆(単行本未収録 「『泥棒三題』の2」昭和三一年で書いたこと)
随筆集『小感軽談』あとがき
『小感軽談』(七月一五日筑摩書房) 自著あとがき(「屑同然の断片まで集めて入れてあることは確かだから、これで僕の気持を判断してもらっても文句はない。しかし何と云っても呑気で上澄み的な部分が多いことは気がさす。題に免じてお許し願いたい」とある。 6 )
泥棒 (二)─「窓辺」欄連載(一二)
「静岡新聞」七月一八日夕刊 随筆(単行本未収録 「『泥棒三題』の3」で書いたこと)
選挙 ─「窓辺」欄連載(一三)完
「静岡新聞」七月二五日夕刊 随筆(単行本未収録 『落第免状』に「年月不明、未発表」として収録の同じ題のもの〔昭和四三年に記載〕とほぼ同じ)
文芸時評・八月号(上) ─鋭くて快い緊張感─阿部昭「人生の一日」・老衰と死の影漂わす労作─佐々木基一「交歓」
「東京新聞」七月二五日夕刊・「中日新聞」七月三〇日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年7月 」として 4 。阿部昭「人生の一日」評の箇所が『阿部昭全短篇(下)』昭和五三年講談社刊の付録))
文芸時評・八月号(下) ─圧倒的な事実の重さ─林京子「二人の墓標」・好みな運びで読ませる─野呂邦暢「高く跳べパック」
「東京新聞」七月二六日夕刊・「中日新聞」七月三一日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年7月 」として 4 )
遠州森町・天宮神社のナギ ─遠い古代が目前に
「サンケイ新聞」八月二四日(サンデーファミリー版)連載企画「樹霊」 随筆(天宮神社のナギについては昭和四三年「木と虫と山」の項参照。『樹霊』昭和五一年人文書院刊に収録。本書には新装版〔平成九年〕がある)
文芸時評・九月号(上) ─モティーフに疑問─金石範「遺された記憶」・じめつかず清潔な仕上げ─中上健次「蛇淫」
「東京新聞」八月二五日夕刊・「中日新聞」八月二九日夕刊 文芸時評(「九月号」として『文芸年鑑一九七六』(昭和五一年新潮社)、「 文芸時評 昭和 50 年8月 」として 4 。中上健次「蛇淫」評の箇所が『現代日 本の作家 24 中上健次』平成八年小学館刊に収録)
文芸時評・九月号(下) ─作品の背景しっかり─島村氏の「白い舞踏会」・気になる臭い貴族趣味─藤沢氏の「砕かれた光」
「東京新聞」八月二六日夕刊・「中日新聞」八月三〇日夕刊 文芸時評(「九月号」として『文芸年鑑一九七六』、「 文芸時評 昭和 50 年8月 」として 4 )
創作集『異床同夢』あとがき
『異床同夢』(八月二九日河出書房新社) 自著あとがき(「生きている以上そんなわけがない。自己の固有を小説で表現するためには、必然性ある新しい形式とやり方を考案しなければならないと思う」とある。 6 )
文芸時評・一〇月(上) ─埴谷氏の気合いに同感─江藤氏に答えて・迫力欠く生きた現実追求─江口幹「道化たちの柩」
「東京新聞」九月二五日夕刊・「中日新聞」九月二六日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年9月 」として 4 「要するに私は残念ながら埴谷氏の哲学の深奥を理解することはできぬ。にも拘らず、私は芸術家のハシクレとして、氏の小説がまさしく小説であるという気合いをハッキリと感ずることができる」と書く。「小説気合い論」とでも云おうか)
文芸時評・一〇月(下) ─力こもった秀作─中上健次「岬」・前衛映画を思わす詩情─小松紀夫「酸漿」
「東京新聞」九月二六日夕刊・「中日新聞」九月二七日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年9月 」として 4 )播磨 「文芸展望」一〇月秋季号 随筆( 1 )
井伊家下屋敷に泊って湖東三山をめぐる
「旅」一〇月号 随筆(「 琵琶湖東岸の寺 」と改題して 茫 妻智世子を伴っての旅行であったが、文中には「私と同行者二人」とあるだけで妻についての記述はない。もう一人は「八木君」とあるが写真家であり民俗学に造詣の深い八木洋行氏である。この旅行のときのことを「韓国の日々」昭和五三年でふれているが、その一節には妻が「ほんとにねえ」と嘆声をもらしたとある)
私の見たい名品─白天目に期待
「朝日新聞」名古屋本社版一〇月四日朝刊 随筆(「日本名陶展─古代から現代まで─」 10.14 〜 10.26 愛知県美術館 「 私の見たい『秋草文壷』と白天目 」として 茫 「田紳有楽」で、池の中のグイ呑みが泥にもまれて変容し「話に聞く室町期の名碗白天目の肌を連想させる」とある)
懐かしい村祭り風景
『ふるさと百話 第一五巻』(一〇月六日静岡新聞社) 帯文(単行本未収録)
能登の旅 ─あきない海の眺め─平野、本多両氏を道連れに
「静岡新聞」一〇月一一日朝刊 随筆( 茫 四高との定期戦のことは「青春愚談」昭和四六年にある。本多が口ずさんだという四高応援歌〔南下軍の歌〕の歌詞は次の通り。「一、啻〔ただ〕に血を盛る瓶〔かめ〕ならば、五尺〔せき〕の男子要なきも、高打つ心臓〔むね〕の陣太鼓、霊〔たま〕の響きを伝へつつ、不滅の真理戦闘に、進めて鳴るを如何にせん 二、嵐狂えば雪降れば、いよいよ燃え立つ意気の火に、血は逆巻きて溢れきて、陣鼓響きて北海の、健児髀肉〔ひにく〕を嘆ぜしか、遂に南下の時到る 三、花は御室〔おむろ〕か嵐山、人三春の行楽に、現〔うつつ〕もあらで迷う時、西洛陽の薄霞、霞にまがふ砂煙、蹴立てて進む南下軍 四、平和はいづれ倫安〔とうあん〕の、秒時〔しばし〕の夢に憬るる、『痴人始めてよく説かん』、丈夫〔ますら〕武夫〔たけお〕は今日の春、花よりもなほ華やかに、輝く戦功〔いさを〕立てんかな」。相手方の応援歌である)
文芸時評・一一月号(上) ─安易と通俗避ける─坂上弘「優しい人々」・動物的な臭気ムンムン─中上健次「水の家」 「東京新聞」・「中日新聞」一〇月二七日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年 10 月 」として 4 。坂 上弘「優しい人々」評の箇所が坂上弘『優しい人々』昭和五一年河出書房新社刊の帯)
文芸時評・一一月(下) ─柔らかい清潔さ発見─佐多稲子「時に佇つ」・カラリとした印象に注目─大谷藤子「風の声」
「東京新聞」・「「中日新聞」一〇月二八日夕刊 文芸時評(「 文芸時評 昭和 50 年 10 月 」として 4 『兵本善矩遺作集』を取り上げているが、「志賀直哉・小林秀雄両氏との初対面」昭和三二年で兵本)
御前崎・大井川 ─古い街道と灯台の岬の旅情
『日本の旅路 ふるさとの物語6 伊豆・東海』(一一月一日 千趣会) 随筆(単行本未収録 「田紳有楽〔終節〕」で滓見A号貝谷歌舞麗にさそわれて、億山は御前崎灯台あたりまでドライブする)
先生─一高
「潮」一一月号 随筆(単行本未収録 小学校時代の様々な思い出と、第一高等学校に願書は出したが、門を入って試験場を遠望しただけで帰って来たことを書いている。「泡のように」昭和五三年の項参照)
文芸時評・一二月号(上) ─みごとな構成と描写─野呂邦暢「一滴の夏」・同時代人の共感を呼ぶ─佐多稲子「時に佇つ」
「東京新聞」・「中日新聞」一一月二八日夕刊 文芸時評(「一二月号」として『文芸年鑑一九七六』、「 文芸時評 昭和 50 年 11 月 」として 4 。野呂邦暢「一滴の夏」評の箇所が野呂邦暢『一滴の夏』昭和五一年文藝春秋社刊の帯。/なお本時評の冒頭「これは文芸時評ではないが無関係ではない」と一〇月三一日に行われた天皇の「生まれてはじめて」の記者会見を批判している。この藤枝の批判に共鳴して、伊藤成彦が「春秋」昭和五一年二・三月合併号に「『五勺の酒』と?ボロボロの駝鳥?」を書いている。「三島由紀夫は天皇に対して、なぜ人間になったかと恨み、藤枝静男は、お前はそれでも人間か、と怒っているのだから、天皇としては立つ瀬がなさそうだが、そこに『人間天皇』というものの本質的な背理が両側面からみごとに照らしだされている」。そして伊藤は「あの『人間宣言』は?現人神?という戦前のフィクションを?人間天皇?という戦後状況に合わせたもう一つのフィクションに切り替えたもの」にすぎないと明言する。藤枝静男はこのあと「在らざるにあらず」昭和五一年で「人間の恥から見事に自由になっている天皇」と書く。「明治村」昭和四一年の項参照。編者に拙文「怒り」藤枝文学舎ニュース第六一号がある)
文芸時評・一二月(下) ─哀愁を帯びた好短編─後藤明生「鞍馬天狗」・難しい題材を描き切る─岡松和夫「深く目覚めよ」
「東京新聞」・「中日新聞」一一月二九日夕刊 文芸時評(「一二月号」として『文芸年鑑一九七六』、「 文芸時評 昭和 50 年 11 月 」として 4 。岡松和夫「深く目覚めよ」評の箇所が岡松和夫『深く目覚めよ』昭和五二年講談社刊の帯。/半年間の文芸時評を次のように締めくくる。「小説を馬鹿にしたような作に出会うと人並み以上に腹が立って云わなくていい悪口を書いた.中野重治が『褒められたことは役に立ったが、けなされた方は役に立たなかった』という意味のことをもらしたと聞いたか読んだかしたが、自分にあてはめてもさもあらんと後悔した。立原正秋からも『新人の場合は出来がわるければ批評せぬがいい』と忠告されたが、いざとなると守れなかった。新聞の読者がいちいち雑誌を買うわけではないから筋の抄録も心掛けたが肝心の批評が侵蝕された害もあった。記してすべて陳謝したい」。中野や立原の云うことに編者は首肯する。しかし藤枝静男は黙っていられない)
一九七五年の成果
「文藝」一二月号 アンケート(単行本未収録 吉行理恵「井戸の星」・阿部昭「人生の一日」・佐々木基一「交歓」・中上健次「蛇淫」「岬」・小松紀夫「酸漿」の六点をあげている)。
句集『明治草』帯文 (無題)
相生垣瓜人『明治草』(一二月二五日海坂発行所) 帯文(単行本未収録 この句集で相生垣は蛇笏賞を受賞。昭和五一年に「相生垣瓜人のこと─句集『明治草』にふれて」がある)
焼き物を求めて進む
「週刊現代」一二月二五日号 随筆( 茫 )
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