平成26年(2014年) | |||||||||
註)本年度よりレイアウトを変更し、年月日の表記もアラビア数字とする。 ●=単行本 ○=雑誌 ◇=その他 太字=作品収録 |
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3月
●浅野麗他編『大学生のための文学トレーニング 現代編』(三省堂)「『私』という虚構」の章で「空気頭」抄録。 本年編者が知ったことに下記がある。 |
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平成27年(2015年) | |||||||||
1月 本年編者が知ったことに下記がある。 |
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勝見薬局(日光堂薬舗)ちらし |
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なお本年譜に下記の(注)を追加し、また訂正したい。 |
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平成28年(2016年) | |||||||||
1月 |
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本年編者が知ったことに下記がある。『素描 埴谷雄高を語る』は昨年見落とした。 ◇<濱松民報>昭和34年2月16日 藤枝静男「曽宮一念氏個展」—この記事の存在は浜松文芸館編集『曽宮一念、藤枝静男宛書簡』平成27年刊で知る。浜松市中央図書館のマイクロフィルムで確認。以下全文転載する。 「二月十七日から二十二日にかけて静岡市の県民会館で曽宮氏の個展が開かれる。県内に日本一流の画家が何人か住んでいて好い仕事を次々と進めていることは誰でも知っているのに、これらの人々の仕事を見る為には東京へ行かなければならない、ということはよく考えてみると甚だ奇妙なことであった。今度県民会館文化部と県美術家協会がそれに気づいてこれ等の画家達の展覧会を継続的に開催し、われわれ地元の県民に彼等の作品をまとめて落ちついて鑑賞する機会をつくってくれたということは遅まきではあっても感謝されていいことである。そのうえ第一回として曽宮氏を取り上げたという点は、氏の作品を最も多く、多分数十点も所蔵しているわが浜松市の市民の一人として大いに嬉しいし又誇っていいことがらであろう。今度の個展にも浜松から数点が出品されたが、これ等の作品以上の或いは同等の美しさを持った氏の作品はこの浜松市の中に充満しているのである。曽宮氏のひた向きな画境その色彩の若々しい美しさについては既に定評があるので何もつけ加える必要はない。私は私達の近くに見られない氏の比較的古い時代の作品をこの展覧会で眺めることのできる幸福をのがさないようにしたいと思っている。私はそこで何年かにわたって変化し進歩してきた氏の業績を追うことができるだろうと期待し楽しみにしているのである」。 なお、同じ紙面に「市民会館ギャラリー問題 勝見氏ら当局と話合い」の記事。建設予定の市民会館にギャラリーを設けるよう勝見次郎(藤枝静男)、中村良七郎の二人が総務部長に面会を求め要望した経緯を紹介。市に自前の施設がなく、市展も松菱百貨店を借用して開催している現状を憂えてのことである。藤枝静男に実社会への強い関心があった一例である。関連して「静男巷談」に「年頭苦言」昭和35年1月がある。 ●高井有一『時のながめ』(新潮社2015.10)「晴れた日の展墓」収録(初出<赤旗>1994.1.11) 〇<日本文学>日本文学協会2002年11月号(VOL.51)特集/絵画・写真・映像—像と文学の近代—で宮内淳子「遠近法の壊し方—藤枝静男の場合—」 〇<昭和文学研究>昭和文学会第46集2003.3.1/宮内淳子「研究動向/藤枝静男」。 ◇「天女御座」に出てくる御座の松の画像に下記がある。ただし不鮮明である。松は枯死していまは跡形もない。 御手洗清著『静岡県西部のおもしろい伝説』(遠州伝説研究協会/昭和50年)197頁 花沢且太郎・川原崎次郎監修『写真集 島田・榛原いまむかし』(静岡郷土出版社・昭和63年)157頁 ○<医家芸術>昭和45年6月号(14巻6号)に座談会「文学の中の性」。出席者/藤枝静男・椿八郎・高橋功・白木良夫─自分とはどういう者か知りたい、そうでないと上手く死ねない。自分という者を書いて行けばわかるかも知れない、そんな希望があって書いている。そうすると私の場合、比重を占めるのがセックスである。セックスに苦しめられたとか憎悪とか。「老人と性」ということではない─といった趣旨の発言を藤枝はしている。 ○<東京グラフィティ>2015年8月号 特集/ヴィレッジヴァンガード店員による「本当におもしろい本148連発」で『田紳有楽・空気頭』(講談社文芸文庫)。 ●『素描 埴谷雄高を語る』(講談社文芸文庫2015.3)「埴谷氏のこと」(初出『埴谷雄高作品集』月報4)収録。 |
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訂正 |
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