(「いろいろ田紳有楽・2」藤枝文学舎ニュース第 20 号/ 1997 年4月)


 「僕は昔で云えば与力の手下の岡っ引きの、もひとつ末端の下っ引きと称する階級に属するスパイで滓見と申す者です」。

 「田紳有楽」の冒頭、昼寝を終えて外へ出て、俄雨と突風の庭を二、三分眺めて二階に戻った主人に、いつのまにか座っていた小男はそう挨拶する。この下っ引き「滓見」は茶碗柿の蔕の変身である。主人から滓見A号と呼ばれる。

  一方、主人から滓見B号と呼ばれる丹波焼き空飛ぶ丼鉢は、「本名は滓見白である」と口上をのべる。

 この「滓見(かすみ)」について平岡篤頼から「(滓見は)藤枝さんの本名の勝見次郎をもじったんですか」と聞かれる。藤枝静男は「そうです」と答えている(対談集『作家の姿勢』)。云ってみれば滓見A号もB号も、藤枝静男(勝見次郎)の分身と云うわけだ。

 「滓」の文字をあてているところに、藤枝の考えがある。自然界の滓である泥をしきりに登場させるのも同じだ。ユーカリは泥にまみれ、二坪たらずの池には泥蟹、泥溝蛙がいる。池の汚い泥は、志野の貫入に入り込む。睡蓮は泥をかぶっている。そして柿の蔕に殴られて逆転し倒立した志野の内腹に泥滓が侵入する。泥=滓は「田紳有楽」のキーワードの一つだ。私たちは泥まみれ、泥そのもの、滓なのだ。「滓見」からは、藤枝のそんな思いが見てとれる。滓見はまた霞でもある。「滓見」をサイケンと読ませて、チベットラマ僧の名にも擬している。サイケン・ラマもまた藤枝静男の分身である。

 滓見A号の二つ名「貝谷歌舞麗」は、また随分とえげつない。『藤枝静男著作集第六巻』月報で、坂上弘が書いている。

 「(藤枝静男から)突然『きみは女性の生殖器を美しいと思うかね』と言われた。咄嗟のことで返事に窮していると、『いや、この前、平野と話していて、かれは美しいというんだが、僕はうつくしいとは思えないねぇ。ホラ貝みたいで』と憮然たる表情だった」。

 「貝谷」の「貝」はこのホラ貝である。そして「谷」である。「田紳有楽」の終わりに近く、滓見B号丹波と滓見A号柿の蔕が言い争う場面がある。丹波が柿の蔕に怒鳴る。「手前の嬶のあそこを爛らかすほどやってもまだ足らず」─歌舞麗とはそのもじりである。それにしても「歌舞麗」とは。

 大蛇に変じて弥勒の説法に同席しようと策しながら、乞食黙次にあえなく撲殺されてしまった院敷尊者。「院敷」は言うまでもなくインチキである。「もともと水利水害の支配者でもない院敷尊者自体が偽物であったのである。空巣の池におさまったうえ、云ってみれば水神気取りで百姓から食料を騙し取っておいて自分だけ極楽詣りをしようという悪人だったのだ」。

 御前崎市浜岡町の桜ヶ池の皇円阿闍梨が「院敷」のモデルだが、今も池の底でとぐろを巻いているだろう皇円がこれを読んだら、「マイッタマイッタ」と頭を掻くに違いない。

 『作家の姿勢』には中上健次との対談もある。そのなかで藤枝は「全部インチキでニセモノな素材で書いたんだけれどもねえ。けれどあれはニセモノがテーマではないんで─どうも自分がニセモノみたいな、ほんとうはよくわからないからねえ。自分を書くには、ああいう形で書くのが一番いいと思って書いたんだが」と語っている。院敷もまた藤枝の分身である。

 磯碌億山の「磯碌」は、「私も名前どおり五十六億年ののちにこの世に正体を現す」とあるように、五十六=イソロク=磯碌である。弥勒下生の五十六億年後をそのまま主人の名前にしてしまう。志野グイ呑みの作者は美濃の「千山」。これは「海千山千」あるいは「千三つ」からであろう。一つ位をあげて、柿の蔕の作者は京都の「万山」。千、万、億と上手い具合に並ぶ。

 丹波をサイケン・ラマから受け取って日本に持ち帰った日本国密偵山村三量。そして商売不成立で興ざめの岡山の川村東伍。この二人についてはわからない。きっと山で川だろう。「サンリョウ?」ではなく「三伍=サンゴ」なら、サンゴジュウゴで「東伍」とバッチリなんだがと勝手なことを思ったりしている。

 「田紳有楽」以外に眼を向ければ、「みな生きもの みな死にもの」に「椎野駄石みたいな洋医から『フーフェランド医典に金玉なんて痒くなっても掻くなと書いてあるからやめろ』といくら訓戒されても、個人の個体は云いつけ通りには作動しない」とある。この「椎野駄石」、前述の平岡との対談で、むやみに威張る批評家と名指しした「篠田一士」のもじりであろう。「駄目な石」と云うのがいい。「石頭」といった含みもあったか。

 また「山川草木」では「斎田捨川という愚かな批評家を不愉快にするためである」の一節がある。これはサイデンステッカーのことだろうと、『藤枝静男著作集第一巻』月報で阿部昭が書いている。「川に捨てる」と威勢がいい。

 以上チャメッ気と云おうか本心と云おうか、藤枝静男の遊び心を作品に登場するものたちの名前を通して眺めてきた。かように命名に凝る藤枝だが、筆名「藤枝静男」については他人任せであった。それもまた藤枝静男らしい。




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