藤枝静男がこれほど怒りをあらわにしたのを、私はほかに知らない。藤枝静男は、担当していた「東京新聞」「中日新聞」文芸時評を突然次のように書き始める(昭和五十年十一月二十八日夕刊)。
「これは文芸時評ではないが無関係ではない─天皇の生まれてはじめての記者会見というテレビ番組を見て実に形容しようもない天皇個人への怒りを感じた。哀れ、ミジメという平生の感情より先にきた。いかに『作られたから』と言って、あれでは人間であるとは言えぬ。天皇制の『被害者』とだけ言ってすまされてはたまらないと思った。動物園のボロボロの駝鳥を見て『もはやこれは駝鳥ではない』と絶叫した高村光太郎が生きていてみたら何と思ったろうと想像して痛ましく感じた。三十代の人は何とも思わなかったかも知れぬ。私は正月がくると六十八歳になる。誰か、あの状態を悲劇にもせず喜劇にもせず糞リアリズムで表現してくれる人はいないか。冥土の土産に読んで行きたい」。
天皇、皇后は米国訪問を終えた昭和五十年十月三十一日、午後四時から約三十分、初めての公式記者会見を行った。以下その応答から二つ抜粋する。
─天皇陛下はホワイトハウスで「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がありましたが、このことは戦争に対しての責任を感じておられるという意味に解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答え出来かねます」
─陛下は(中略)都合三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられましたが、原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたでしょうか。おうかがいしたいと思います。
天皇「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむおえないことと私は思っています」。
この天皇の二つの発言は、当時各方面で論議の的となった。原爆投下容認とも受け止められる発言に対して、「これは人類を破滅に導くものであり、到底容認できない」とする談話を、日本原水協は直ちに発表した。
ところで藤枝静男が怒りを爆発させたのは、発言内容に対してというより、もっと深いところにあったように思われる。
天皇が戦争責任について「言葉のアヤ」と言い「文学方面」と言ったとき、「何を!」と藤枝静男が眼を剥いたことは想像できる。がそのこと以上に、天皇の会見中の立ち居振る舞いに、その非人間的であることに、藤枝の本当の怒りは向けられていたのではないか。それは高村光太郎の「ボロボロの駝鳥」を持ち出していることからも想像できる。
藤枝はこの文芸時評に先立つ「文藝」七月号に、「志賀直哉・天皇・中野重治」を書いている。平野謙も高く評価したこの評論のなかで、志賀と中野の天皇観を藤枝は次のように解明している。
「志賀氏が、天皇を天皇制の犠牲者として、自由にものを云うことを奪われた、残念ではあるが気が弱い、人間的には好い人と」「見ていたことは」「明白である。中野氏の『五尺の酒』を読めば」「あの繰り人形さながらの動作とテープ録音そっくりのセリフを棒たらに繰り返す天皇への憐れさへの何とも処理しがたい心持ちと焦立ちを」「描いていることもまた明白である」。
藤枝静男も記者会見を見るまでは、これに近い立場ではなかったか。しかしテレビの天皇の姿は、藤枝にこの立場を棄てさせる─「『被害者』とだけ言ってすまされてはたまらない」。
「春秋」昭和五十一年二、三月号で、伊藤成彦はこの藤枝静男の怒りに共感し、「人間天皇」なるもののフィクションを鋭くついている。
「冷静なユーモリストの藤枝氏としては異例と思われるほどに激したこの一文に深い共感を感じて、藤枝さんもやっぱり人間の尊厳を陵辱されたような激しい衝撃を感じたんだな、と想像した」。「三島由紀夫は天皇に対して、なぜ人間になったかと恨み、藤枝静男は、お前はそれでも人間か、と怒っているのだから、天皇として立つ瀬がなさそうだが、そこに『人間天皇』というものの本質的な背理が両側面からみごとに照らしだされていると思う」。
伊藤は結論する。「あの『人間宣言』は<現人神>という戦前のフィクションを<人間天皇>という戦後状況に合わせたもう一つのフィクションに切り替えたものであって」「国民の側は、天皇=人間をあまりにあたりまえの現実と錯覚して、そのもう一つのフィクションの意味を問うこともなく、今日にいたったのではないか」。
藤枝静男への共感から発したこの伊藤の分析は、傾聴すべきものだ。
笙野頼子は「田紳有楽」を取り上げるなかで「神仏も、天皇もマルクスも彼(藤枝静男)は信じない」と書く(「朝日新聞」平成十九年二月二十五日「たいせつな本」欄)。
藤枝静男が信じたのは、自分の「眼」であったといえようか。そして、その「眼」が見た事実を書きしるす。躊躇せず、一個の人間として、全身をもって。
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