蓮實重彦は、藤枝静男の谷崎潤一郎賞受賞を安原顯からの電話で知る。受賞作は『田紳有楽』だが、このときのことを蓮實は書いている。
「こんなとき誰もが口にする祝福の言葉をかわしあってたがいの喜びを確認し合うのだが、しかしその喜びには、どことなくがっかりしたような調子がただよっている。すでにその名声は高まっているとはいえ、これを機会に、あれほど絶版が続いて読むのがむずかしかった藤枝文学が、とうとう読者の前にいかにもたやすく投げだされてしまったことを、二人してそれとは口にせず惜しんでいるようだ。
そうか、藤枝氏が谷崎賞を授賞されることになったのか。まるで年甲斐もない恋文のような藤枝静男論を発表したばかりのころ、安原氏のあとについて行って一度だけお逢いしたことのある藤枝氏に心から祝福をささげながらも、これでは何かできすぎているような気がする」(「現代思想」昭和51年10月号)。
恋文のような藤枝静男論とは「海」に発表した藤枝静男論かと思うが、蓮見重彦が藤枝静男について書いたものを以下に列記する。
「田紳有楽」時評 「日本読書新聞」昭和49年1月14日号(『小説論=批評論』収録)
『愛国者たち』書評 「週間読書人」昭和49年2月25日 単行本未収録
藤枝静男論 「海」昭和49年5月・6月号(『私小説を読む』収録)
『異床同夢』書評 「海」昭和50年11月号(『小説論=批評論』収録)
歓待の掟 青土社「現代思想」昭和51年2月号(『反=日本語論』収録)
皇太后の睾丸 青土社「現代思想」昭和51年10月号(『反=日本語論』収録)
補足すれば「歓待の掟」と「皇太后の睾丸」は、「ことばじゃことばじゃ」の総題で12回連載されたもの。「歓待の掟」は「わが先生のひとり」を、「皇太后の睾丸」は「土中の庭」を取り上げている。
見落としがあるかも知れないが、以上六篇である。とするなら蓮實の藤枝静男論は短期間に集中していたことになる。蓮實自身「恋文」というように、熱烈な恋愛に似て瞬間燃焼であったと云えるかも知れない。冒頭引用文でも、「会う」ではなく「逢う」と書く。藤枝静男との逢瀬に心ふるわせた気配がある。あるいはまた、藤枝静男がより衆知されていくだけ、自らは身を引く心理が働いたかも知れない。そのことを引用文からもうかがえる。ある骨董愛好家は愛する自分のもちものに「人が見たら蛙になれ」と念じたという。藤枝静男を「蛙」にしておけなくなったとき、「わたしの藤枝静男」の思いは曇らされて、蓮見重彦は書くのを止めたのだ。
蓮見重彦38歳から40歳。その後の蓮實が、藤枝静男とどんな関係を保ったか、また若書きのこの六編を蓮實自身どう見ているか知らない。とまれ藤枝静男ファンとしては嬉しい六編である。
蓮見重彦が藤枝静男を論じたものの代表は、云うまでもなく「海」に二回にわたって連載された百枚の力作である。その小見出しを眺めるだけで、その熱気が伝わってくる。
1大地の隆起、その陥没─藤枝静男を読む・藤枝的彷徨者たち・曖昧なこと・頑迷なこと・絶句と判断停止・掘ること、拾うこと 2恥辱と嫌悪、そしてその平坦な舞台装置─ Das Ekel ・男根とその無償の勃起性・他者たる女性の偏在性 3家系、妻、そして芸術─遠ざかること・のぞき込むこと・結びつけること、そしてその錯覚・拒絶するものとしての妻 4分岐するものたちへ─巨木から水源へ・一家団欒?・川,木、家系 5奪われる言葉たち─模倣と解放・とうとう、…・藤枝的作品。
この「藤枝静男論」は『「私小説」を読む』で読んでもらうとして、眼にふれにくい『愛国者たち』書評の一部を紹介する。恋文ぶりを味わってほしい。
「短篇集『愛国者たち』は、人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ、『美しい』という一言を口にせよと強要してかかる」「文学という制度的な場にあって、『山川草木』『風景小説』といった作品群の口にする言葉が(中略)まるで声として大気をふるわせることを恥じているかのように、言葉が生まれ落ちようとする瞬間に口をつぐんでしまうがゆえに、これは途方もなく『美しい』のだ」「『なぜ川なのか』を契機として読む意識たる自分を放棄する無名の漂流者は(中略)答えのない設問と遭遇しつつ、ますますおぼつかない歩みで『藤枝的風土』を彷徨し、その風土の構造が、まさにおぼつかなさそのものの中にしか自分を露呈しえぬものである点を確認するしかないだろう」「藤枝にとって、書くとは、無限の『分枝』を演ずる言葉を前にした不断の『迷い』そのものであったはずだ。そのおぼつかない仕草を模倣しつつ、だからわれわれも『迷う』姿勢をうけ入れ、『作家』藤枝静男の言葉をただ『美しい』とだけ書いておこう」。
熱にうなされたような言葉の連なり、恋文としか言いようがあるまい。
確かなことは藤枝静男の作品が、蓮實を昂奮熱中させる触媒として蓮實の前に存在していたことである。
私の駄文を連ねる愚行と、蓮見重彦の営為をくらべることはできない。それでも藤枝静男への恋文であるという自覚が私にもある。難解な蓮實の書くものを眼で追いながら、なにやら嬉しくなるのであった。
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