中川一政氏との初対面
「海燕」一月号 随筆(文中の中川一政随筆集『八十八』昭和五五年には本多秋五と中川の対談が収録されている。藤枝と中川の対談については年譜。同じく文中の大判の画集『中川一政─私の遍歴』は昭和五六年九月に日本橋高島屋で開催のあと各地を巡回した同名の展覧会の図録。 32 × 26 cmとたしかに大きい。中川については対談のほか「当てずっぽう」昭和五〇年がある。 単行本未収録)
日記
「図書」一月号 随筆(単行本未収録。 冒頭引用している夏目漱石の「生まれた、生まれた」「死んだ死んだ」の詩の草稿は『漱石全集第一三巻日記及び断片』昭和四一年岩波書店にある。小説「虚懐」昭和五七年の虚懐も漱石の漢詩からであった。また藤枝は昭和四三年の講演で「私の漱石」と題して語っている)
偽元旦生まれ
「中日新聞」一月六日夕刊 随筆(単行本未収録)
大赤字美術館長その後
「群像」三月号 随筆( 今 「大赤字美術館長」である横田正臣の著書『生きがい─たった一人で創った博物館』平成一五年モデラートが横田の歿後発行された。「作家の藤枝先生は埴谷雄高先生や本多秋五先生をはじめ多くの作家仲間を連れてきてくださった」とある)
虚子のレコード
「俳句四季」第三号(三月) 随筆(単行本未収録 昭和四九年に『高浜虚子全集第一巻』月報に同題で書いているものを要約した内容)
阿部君の作品
『阿部昭全作品3』(三月一五日福武書店)帯 帯文(単行本未収録 なお本文の初出は『阿部昭全作品』パンフレットの推薦文であるが、パンフレットの発行日不詳のためここに入れた)
尾崎さんのこと
「文學界」四月号 随筆(同題で「連峰」昭和五八年五月号に書いているが別文。 今 )
妻の墓
杉村孝『泣いてござる笑ふてござる』(四月二五日静岡出版) 随筆(単行本未収録)
妻の胸像
「かんぽ資金」五月号 随筆(単行本未収録)
眼前数尺の風景─MOA美術館見学記
「墨」五月号 随筆(単行本未収録 藤枝静男の手でタイトルの「眼前数尺の風景」が黒く塗りつぶされるなど訂正書き込みの切り抜きが浜松文芸館にある)
武藏川谷右ェ門・ユーカリ・等々
「群像」六月号 小説(「私」の家の庭の様子を書いている。玄関先の池のほかに、高さ約八メートル、根まわり一四〇センチのユーカリ、塀際にニセアカシア、山桜、黄素馨、山椿がある。「田紳有楽」の「億山」の庭にはこの他に躑躅、大納言、紫式部、姫林檎、夾竹桃、八つ手もあった。藤枝家の庭も実際そうであったと思うが、区画整理のためこの庭はもうない。/終わりに近く、本多秋五の兄本多静雄からもらった模造『宝珠硯』の箱書きのことが出てくる。藤枝はこうしたことを好んだ。「勝見家代々家宝 薬研薬匙」と箱書きされたものも藤枝家にある〔「薬研・墨壷・匙」昭和五一年の項参照〕。また所蔵の志賀直哉編『座右宝』の目録に藤枝はその由来を書きこんでもいる〔「志賀直哉歿後十年」昭和五六年の項参照〕。また『藤枝静男著作集第三巻』月報3で中野孝次がほほえましい藤枝の箱書きを紹介している。孫が割った茶碗を修復しその函におおよそ次のように書いてあったという。「これは汝(と孫の名を書いて)何歳のとき誤って破壊した茶碗なるぞ。余は祖父としてそが修復に全力しぬ。茶碗は原型に復せるも破壊が事実は永遠に残れり。ために記念にそのいきさつをここに記す。汝成人のあかつきこれを見てかかることありしと知れ、云々。年月日、祖父勝見次郎記」。補足すれば、『日本近代文学大事典』昭和五二年で藤枝静男は「本多静雄」の項を担当している)
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