昭和四五年(一九七〇年) 六二歳

「或る年の夏」を『群像』三月号に発表。三月、一九年間続けてきた日記を昭和四四年分を除き焼却する。「土中の庭」を『展望』五月号に発表。六月、浜名湖会(犬山、明治村を巡る)。八月、創作集『欣求浄土』を講談社より刊行、野間文芸賞候補。九月二六日から一〇月二九日にかけて、ソ連作家同盟の招待でソ連そしてヨーロッパをまわる。同行は城山三郎、江藤淳。この旅行をきっかけにして診療の一切を長女夫妻にゆずる。一〇月、「犬の血」が『日本の文学第八〇巻 名作集4』(中央公論社)に収録される。「接吻」を『文藝』一一月号に発表。一二月、頚部椎間板症で治療、翌年二月まで。なおこの年一一月、三島由紀夫が陸上自衛隊東部方面総監部に乱入し割腹自殺、四五歳。

  西国三カ所 ─平野謙と南国紀州めぐり  
「静岡新聞」二月五日夕刊  随筆( ・『日本の名随筆別巻 巡礼』平成四年  補陀落寺〔ふだらくじ〕を訪ねている。このことでは「田紳有楽」で億山は瀬戸内海の海底に横たわり夢見ここちで「紀州補陀落の海か。福聚海無量か。不生不滅不増不減か」と思う)

或る年の夏    
「群像」三月号  小説(文中のZ、Sについては「或る年の冬」の項参照。Wは俳人岡田鈴石がモデル、単行本収録に際して「沖」。「雛祭り」昭和五二年の「マアちゃん」も岡田がモデル。岡田鈴石については鈴木貞子「岡田鈴石ノート」─『藤枝文学舎ニュース』第九号〜第一二号が詳しい。なお「沖」の名は書家沖六鵬〔おきりくほう〕から思いついたかも知れない。沖については「書をめぐる個人的回想」昭和五六年の項参照。米騒動については、大正七年の項参照。/文中出てくる映画「首の座」は山上伊太郎原作脚色、マキノ正博監督。キネマ旬報社主催の昭和四年度優秀映画投票で首位当選になっている。「八笑人」もマキノが監督。マキノに自伝『映画渡世・天の巻』『同・地の巻』がある。「首の座」「八笑人、杉狂主演」映画「この太陽」の主題歌については「思ひ出」昭和八年でも書いている。「この太陽」は作詞西条八十、作曲中山晋平。レコードA面は佐藤千夜子が歌っている。その歌いだしは「小さいときからいいなずけ 二人で真似たままごとの 庭の桜の咲くにさえ 楽し昔が忘らりょか」。B面は藤本二三吉が歌っている。その歌いだしは「思わぬ人に思われて 恋しき人の冷たさよ 泣けば涙の露にさえ その俤の浮かぶ君」。ともにその歌いだしが評判になった。当時はA面とB面の歌詞・編曲・歌手を変えるのが通例であったようだ。「空気頭〔初稿〕」昭和二七年に関連した「アラその瞬間よ」もA面、B面別の歌手が歌っている。/占部哲二ウラテツのモデルは小野庵保蔵である。小野庵については藤枝文学舎を育てる会小野庵研究会編『小野庵保蔵集』平成一五年がある。「最初瀬川は、奥山という」「禅寺に彼を訪ねていった」(著作集一〇〇頁)とある。この寺のモデルはダダイスト高橋新吉にも縁のある方広寺奥山半僧坊である。「半僧坊」昭和五三年参照。/なお本文末に「おことわり─これは昨年四月の本誌に発表した『或る年の冬』のなかに挿入する部分として書いた。そのため小説としてまとまりのないものとなったことを深くお詫びする。 作者」と記している。「或る年の冬 或る年の夏」として一本に纏める経緯については、「怠惰な男」昭和四六年の項参照。なおモデルについての本書の立場は「春の水」の項に書いた)
 

時評─奥野健男「サンケイ新聞」二月二八日夕刊(『情況と予兆』)・川村二郎「神奈川新聞」二月二四日朝刊・森川達也「京都新聞」二月二七日夕刊

収録─「或る年の冬」に同じ。 

  弥生式小壷   
「芸術新潮」三月号「ぴ・い・ぷ・る」欄  随筆(本初出では無題。「弥生式小壷」として

孫引き二つ   
「新制作」第二号(三月)  随筆(  茶席の嫌いなことは「初めてお茶に呼ばれた」昭和五三年でも書いている。織部沓形茶碗を「牛糞に凹みをつけた」はけだし名言と云おうか。極めて藤枝的である。昭和四八年に「孫引き一つ─二人の愛国無関係者」がある)

感想   
「浜松市民文芸」第 集(三月三一日)  選評(単行本未収録 「一人の選者が何時までも居座るということは応募される方々のためによくない。来年からは新しい気分で新しい選者に作品を寄せられんことを切望する」と書いている。しかし第 集も選者を続行、ただし第 集はもう一人の選者稲勝正弘ひとりに選評をまかせている。第 集から吉田知子にかわる。昭和三一年の第一集から一六年間選者を務めたことになる)

伊藤整著『発掘』 ─醜悪な性への直視と脱出  
「群像」四月号  書評( )   

土中の庭    
「展望」五月号  小説(冒頭昭憲皇太后の歌が出てくるが、歌の題名は「金剛石の歌」。その全節はつぎの通り。「金剛石もみか〔が〕かすは〔ずば〕 珠のひかりはそはざ〔わざ〕らむ〔ん〕 人もまなひ〔び〕てのちにこそ まことの徳はあらは〔わ〕るれ 時計の針のたえまなく めく〔ぐ〕るかこ〔がご〕とく時のまの 日かけを〔げお〕しみてはけ〔げ〕みなは〔ば〕 いかなるわさ〔ざ〕かならさ〔ざ〕らむ〔ん〕」。/釣りの帰りの場面では、随筆「狐にばかされたこと」昭和四三年を使っている。「硝酸銀」昭和四一年でも章が父にせがんで魚釣りに出る。「蒙求」についても「硝酸銀」の項参照。/「孝経」は孔子が門人曾参に孝道を述べたのを、曾参の門人が記録したといわれる一巻〔広辞苑〕。その開宗明義章第一に曰く「身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは、孝の終わりなり」。/「周囲二キロばかりの広い沼」は藤枝市にある蓮華寺池がモデルである。現在は公園として整備され、周囲約一・五キロの周回路は人々で賑わっている。主人公章は化け鰻に直面し、少年Sの死体が大鰻に食われたに違いないと思う。「田紳有楽」の大鰻は「生きるため」に水母を食っている。/大般若経六〇〇巻は森町三倉田能の蔵泉寺蔵で県指定文化財。毎年一月一五日と八月一日に疫病退散を祈念して転読が行われる。丸山教は明治三年、多摩区登戸村農民伊藤六郎兵衛を教祖として興った。富士講の一派丸山講を背景に、世直し的性格の新興宗教。一時信者百万以上に及んだが、国家的弾圧により明治二〇年代以降衰える。現在平和主義を教義にかかげて、原水爆禁止運動を信仰の実践として活動を続けている)
 

時評─佐伯彰一「読売新聞」四月二九日夕刊(『日本の小説を索めて文芸時評 69 〜 72 』)

収録─創作集『欣求浄土』・講談社文庫『空気頭・欣求浄土』・『藤枝静男著作集第六卷』・講談社文芸文庫『悲しいだけ・欣求浄土』

  救世主K先生   
「文藝春秋」五月号  随筆(『第八高等學校一覧』昭和五年がある。その職員一覧に「數學 教授理學士 川上芳郎 岡山」の名がある。K先生かもしれない。

ドック入り ─老化指摘にガックリ  
「読売新聞」五月一四日夕刊  随筆(

ひげをはやしたがすぐそった   
「中日新聞」五月一六日夕刊  随筆(「髭を生やしたがすぐ剃った 」として   しかしまた髭を生やすのだが、その事情を書いた随筆はない)

先輩の意見 ─感動だけが心の栄養に─『昆虫記』など夢中で読む  
「中日新聞」六月二二日朝刊  随筆(「 勝手な読書 」として

消極的な美食家   「アサヒグラフ」六月二六日号「わが家の夕めし」欄  随筆(藤枝静男・智世子夫妻、長女章子夫妻、それに孫登、智世子の母ますの六人が食卓を囲んでいる。ちなみにこの日の献立はしゃぶしゃぶ〔牛肉・えび・もち・しいたけ・みつば・キャベツ・ねぎ・さやいんげん・きしめん・豆腐〕、梅干し。「 わが家の夕めし(写真にそえて) 」と改題して  「藤枝文学舎ニュース」六〇号平成一九年四月で長女の安達章子が、当時の藤枝宅の食卓風景を語っている。 なお「アサヒグラフ」本号の特集は「われらのなかの七〇年六月─人間をつぶす安保をつぶせ!ベ平連の「アンポ毎日デモ」)

中村光夫著『虚実』 ─心情のやさしさ  
「群像」七月号  書評(

明治村行き ─清遊した「近代文学」同人  
「静岡新聞」七月二三日夕刊  随筆( 。このときのことを中島和夫が書いている─『本多秋五全集第一二巻』月報 「亀と兎」。明治村の正門は、第八高等学校の正門を移築したもの。明治村のガイドブックに次のように記されている。「赤煉瓦と白御影石の縞模様も美しい四基の門柱の間に、ゆったりとした鉄扉がつけられた、明治期高等学校の代表的洋式門で、どこかに青春の歌声がひそんでいるかのようである。建造は明治四二年で、旧制八高は昭和二四年に国立新制名古屋大学の教養学部となり、昭和四〇年には教養学部の建物が名古屋市立大学に移管されると、正門もそのまま名古屋市の所有となっていた。明治村に移管されたのは、昭和四五年三月である )

古山高麗雄著『プレオー8の夜明け』 ─"軽薄"のなかにある真実  
「東京新聞」八月二四日朝刊  書評(   「韓国の日々」昭和五三年に古山の「奔放」ぶりがある)

創作集『欣求浄土』あとがき   
『欣求浄土』八月二八日  自著あとがき(「ここに収めた七篇は『小説欣求浄土』に各部分である」「四年前に『一家団欒』を書いたとき、ひとつの気分があって、このモティーフが何時までも頭を離れなかったので、それにもう少し明確な姿を与えるつもりで後の六篇を書いてみた」とある。『欣求浄土』の創作の経緯については、このあとの「宇布見山崎」が詳しい。各篇の発表順は「一家団欒」、「欣求浄土」、「木と虫と山」、「天女御座」、「沼と洞穴」、「厭離穢土」、「土中の庭」である。 ・講談社文芸文庫『悲しいだけ・欣求浄土』)

宇布見山崎   
「中日新聞」九月二六日朝刊  随筆(  読書欄 藤枝静男著『欣求浄土』特集 浜名郡雄踏町山崎昭和新田の写真。藤枝静男の顔写真と略歴。入江隆則の書評。宇布見山崎とは現浜松市西区雄踏町宇布見と山崎地区のこと。本文に「一家団欒」の冒頭部分で「章」が湖を一直線に横切っていく場面として想定した場所であると述べている。藤枝静男の現実に照らせば、墓のある藤枝市とは逆方向になる。「一家団欒」昭和四一年の項参照)

接吻   
「文藝」一一月号  小説(ブリヂストン美術館にあるセザンヌの三点については「ゼンマイ人間」昭和五五年、そのうちの一点「静物〔鉢と牛乳入れ〕」については「好きな絵」昭和三九年でも書いている。/精神が昂揚すると「私」の瞳孔は開いて瞼裂が開大する。このことでは「空気頭」昭和四二年で土生氏の「昨夜妾と一儀に及んだ直後に瞳孔を鏡にうつして見たら散瞳していました」のセリフがある。/「文化会館前に据えられた安井何とかいう人の胸像」について、藤枝静男は昭和五一年「在らざるにあらず」で再び書いている。そのときはわざわざ近づいて「台座に記された都知事東竜太郎の撰文からそれが俗人をもって有名だった前知事」だと確認する。編者は記録としてその像を撮影しアルバムに貼ってあるが、見れば見るほど藤枝の酷評に納得する。安井何とかとは安井誠一郎である。東京都長官を二期〔内一期は官選〕、東京都知事を三期、計五期にわたってつとめた。/「ボッシュを『発見』したと思いこんで恥をかいた」とある。このことは「ボッシュ画集」昭和四四年に書き、佐々木基一に「李朝民画」藤枝静男著作集第一巻月報がある。「前に成人映画で、うんざりするくらい同じ恰好をしてみせる模擬性交場面を見た」とあるのは「欣求浄土」昭和四三年で取り上げた映画「性の放浪」であろう。/「前衛芸術家もアングラもゲバ学生も、彼等は一様に行きづまり、退廃し、脱落して消え去って行く運命を担っているに違いない」とある。傾聴にあたいする言葉といえよう。/「苗木で買ったユーカリは七米余の大木となって、密生した硬い葉が冬も一団となって東側の陽をさえぎっている」とある。ユーカリはこの後の藤枝作品で重要なモティーフとなる。「田紳有楽」冒頭のユーカリの描写は見事である。他に「雉鳩帰る」昭和五三年、「ゼンマイ人間」昭和五五年、「やっぱり駄目」同年、「武蔵川谷右ェ門・ユーカリ等々」昭和五九年、「老いたる私小説家の私倍増小説」昭和六〇年にユーカリ。/なお「文藝」本号に『欣求浄土』書評─小川国夫「『欲望』による自己確認」)
 
時評─佐伯彰一「読売新聞」一〇月三〇日夕刊(『日本の小説を索めて─文芸時評 69 〜 72 』)・秋山駿「東京新聞」一〇月二八日夕刊(『秋山駿文芸時評─現代文学への架橋 1970.6 〜 1973.12 』昭和五〇年河出書房新社)・奥野健男「サンケイ新聞」一〇月三一日夕刊(『情況と予兆』)・川村二郎「神奈川新聞」一〇月二七日朝刊・桶谷秀昭「季刊芸術」昭和四六年一月冬季号(『凝視と彷徨』)

収録─創作集『愛国者たち』(昭和四八年講談社)・『藤枝静男著作集第二卷』
 

あれもロシアこれもロシア「上」 ─美術品と風景を見に・健康第一を心がけた訪問の旅  
「東京新聞」一一月一六日夕刊  随筆(  藤枝のこの旅行に先立つ昭和四〇年、島尾敏雄もソ連・プラハを旅している。島尾にこのときのことをまとめた長篇紀行『夢のかげを求めて』昭和五〇年がある)

あれもロシアこれもロシア「中」 ─親愛の情と警戒と  
「東京新聞」一一月一七日夕刊  随筆(

あれもロシアこれもロシア「下」 ─やむを得ぬ"二つの顔"  
「東京新聞」一一月一八日夕刊 随筆( ) 

尾崎一雄著『ある私小説家の憂鬱』 ─和らぎの底に反骨  
「サンケイ新聞」一二月七日夕刊  書評(『尾崎一雄─人と文学』昭和五九年永田書房に収録)

ちょっと感じたこと   
『世界文学全集39卷 ショーロホフ・ソルジェニツイン』月報 (一二月二五日) 随筆(  本のサイズより大きな月報なり。本書には佐藤忠良のデッサンが八葉挿入されている)  

 



創作集『欣求浄土』  
昭和四五年八月二八日  講談社刊
装  幀 栃折久美子 
収録作品 欣求浄土(一、欣求浄土 二、土中の庭 三、沼と洞穴 四、木と虫と山 五、天女御座 六、厭離穢土 七、一家団欒)
あとがき 藤枝静男(「ここに収めた七篇は『小説欣求浄土』の各部分である」と述べている。本書は昭和四五年度野間文芸賞最終選考作品五作の一。

『欣求浄土』書評
平野謙「週刊朝日」一〇月二日号匿名(『新刊時評(下)』)・浅見淵「サンケイ新聞」一〇月一二日夕刊・加賀乙彦「読売新聞」九月一六日夕刊・竹西寛子「日本読書新聞」一一月九日号(『現代の文章』昭和五一年筑摩書房)・入江隆則「中日新聞」九月二六日朝刊・上田三四二「早稲田文学」昭和四六年一月号・川村二郎「群像」一一月号・小川国夫「文藝」一一月号(『一房の葡萄』昭和四五年冬樹社・『藤枝静男と私』平成五年小沢書店)・大岡昇平「ブッククラブ情報」一二月号・匿名「朝日新聞」一〇月一二日朝刊・匿名「静岡新聞」九月一八日朝刊・匿名「季刊藝術」一〇月秋季号




 

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