昭和四三年(一九六八年) 六〇歳

 四月、智世子退院。同月、創作集『空気頭』により昭和四二年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。智世子、藤枝静男の母ぬいに電報「ただいまいただきにまいりました。母上に感謝す」。平野、本多と神田本屋街、画集『ボッシュ』を見つける。「欣求浄土」を『群像』四月号に発表。四月、島田市制二〇周年記念講演会。井上靖が「作家の立場から」、藤枝静男が「私の漱石」。宣伝パンフレットに弟宣が「声」を寄せている。「木と虫と山」を『展望』五月号に発表。五月、「冬の虹」が『昭和四三年版文学選集 33 』(講談社)に、六月、「イペリット眼」が『現代文学の発見第一〇巻 証言としての文学』(學藝書林)に、「欣求浄土」が『現代文学大系 66 現代名作選(四)』(筑摩書房)にそれぞれ収録される。六月、浜名湖会(農業団体保養所に二泊。鷲津の本興寺、豊川稲荷、長篠城址を見る)。七月、『日本短篇文学全集 19 志賀直哉・網野菊・藤枝静男』が筑摩書房より刊行される。「天女御座」を『季刊藝術』七月夏季号に、「沼と洞穴」を『文芸』八月号に発表。一〇月、第一随筆集『落第免状』を講談社より刊行。一二月、浜松の住居を新築、来浜した本多、平野も加わり新築祝い。本多、平野、次女本子夫妻と小豆島旅行。なおこの年、ブールデル展を見る。なお「現代詩人による現代小説批判」として長谷川龍生と大岡信が『群像』三月号で「空気頭」について、また小川国夫が「文芸静岡」第一八号に「藤枝静男覚え書き」を書いている。

 

『鬼の手』帯文   
福岡徹著『鬼の手』一月一五日  書評(単行本未収録 福岡については「注目すべきテー マ」昭和四〇年、「空気頭」昭和四二年の項参照)

滝井孝作
新潮『日本文学小辞典』(一月二〇日新潮社)  解説(本解説を藤枝静男が執筆していることを平成二一年六月に矢口貢大氏から教えられる。本辞典に藤枝静男(清水信解説)があることは承知していたが、藤枝の執筆を見落としていた。本辞典を改めてチェックすると網野菊についても藤枝は書いている。瀧井のことでは古本屋の映像情報として浅見渕宛の藤枝の手紙があったことを思い出した(高額のため未入手)。「さて今度新潮社『文学辞典』の瀧井様の項の解説を書くことを申しつかる名誉を得ましたところ、貴方様が筑摩書房版文学全集の月報に御書き遊ばしたものの一節」をという部分が映っている。しかし筑摩書房版『日本文学全集』月報に当たったが、浅見が書いているものにそれらしきものはない。なお瀧井の作品「父」の冒頭部分の素晴らしさに触れているが、「わたしの敬愛する文章」昭和四七年でも。 単行本未収録)

網野 菊
新潮『日本文学小辞典』(一月二〇日新潮社)  解説(網野では他に「瀧井さん、網野さん、尾崎さんのこと」昭和四一年、書評「網野菊著『遠山の雪』」昭和四六年、書評「網野菊著『雪晴れ』」昭和四八年、時評「網野菊『新しい隣人』」昭和五〇年が藤枝にある。身辺を素材にした「私小説が、特有の重い乾いた文体で書き継がれる」と網野作品について本解説は記すが、本辞典は平野謙の解説で私小説<わたくししょうせつ>で一項目設けている。平野は滝井・網野・藤枝静男らを、志賀直哉を源流とする「調和型の私小説」作家に位置づけている。 単行本未収録)

利己主義の小説   
「読売新聞」一月二一日(日曜版)  随筆(

春永劫に薫るかな   
「浜松百撰」二月号  随筆(単行本未収録  静男巷談「殊勲の本塁打」昭和三七年の一部をカット。同文といっていい)

わが浜名湖 (1)佐鳴湖周辺─蜆塚遺跡・三千年前の心中も  
「中日新聞」三月六日朝刊  随筆(『ふるさと山河』昭和四三年東京新聞出版局刊に収録。以下「わが浜名湖」同じ)

わが浜名湖 (2)舞阪・弁天島─美しい「今切れ」からの景観  
「中日新聞」三月七日朝刊  随筆

わが浜名湖 (3)舞阪・弁天島(下)─楽しい浜名湖の遊び  
「中日新聞」三月一二日朝刊  随筆

わが浜名湖 (4)宇布見─ウナギと養鶏と織布の町  
「中日新聞」三月一三日朝刊  随筆(「宇布見山崎」昭和四五年で、「一家団欒」の「作中人物が湖を一直線に横切って自分の父祖の墓に帰っていく、その入り口として想定した水辺」が宇布見であったと語っている。『高校生のための静岡県文学読本』に昭和新田開拓記念碑の写真)

わが浜名湖 (5)庄内・村櫛・舘山寺─レジヤー基地・南朝の悲劇  
「中日新聞」三月一四日朝刊  随筆

わが浜名湖 (6)細江・気賀─気の毒だった宝さがし  
「中日新聞」三月一九日朝刊  随 

わが浜名湖 (7)気賀・金指─興味深い宝林寺の石仏  「中日新聞」三月二二日朝刊  随筆

わが浜名湖 (8)寸座・伊目─九条武子を謝罪させた医師  「中日新聞」三月二六日朝刊  随筆

わが浜名湖 (9)都筑─志賀先生一行を案内した日  「中日新聞」三月二七日朝刊  随筆

選後感   
「浜松市民文芸」第 集(三月三一日)  選評(単行本未収録)

欣求浄土    
「群像」四月号  小説(ピンク映画「性の放浪」は監督若松孝二・昭和四二年製作である。残念ながら編者は未見である。「性の放浪」と「欣求浄土」を見比べた人があり、ディテイルに違う箇所が多く、とりわけ「欣求浄土」で「全身ピンク色に染まって出てきた彼の痩せた妻」と書かれている終盤、映画はモノクロのままであったと書いている。「前に新聞の映画欄で読んだ問題映画と同じ」というのは、「性の放浪」が当時の話題作「人間蒸発」今村昌平監督を下敷きにしていることを指す。/また「章はA、B二人の友人と北海道に行った」とあるが、『本多秋五全集別巻一』の本多年譜昭和四二年の項に次の記述がある。「一〇月三一日、平野謙、藤枝静男と北海道へ五泊六日の旅に出る」「翌一一月一日に平野と藤枝は遠野の家庭学校を訪問」「二日は木原直彦の案内で平野、藤枝と札幌市内にある有島ゆかりの旧蹟を巡歴」「三日は林の案内でオロフレ峠を超えて洞爺湖を一周、昭和新山を見て、有珠岳へロープウェイで登る。昭和新山の鉱物質の色の深さと輝きに驚く」。「色紙に揮毫を求められて、平野が『冷ややかに水をたたえて かくあれば人は知らじな 火を噴きし山のあととも』と書のを初めて見る」。藤枝静男は「木と虫と山」で昭和新山について書いている。平野が色紙に「冷ややかに」を書いたのは昭和新山に触発されてか。この「冷ややかに」については「今ここ」昭和六〇年の項参照。/K氏とあるのは木原直彦であろう。「欣求浄土」は『北海道文学全集第一九巻』に収録されているが「私小説的に読むならば、主人公と同行したAは平野謙であり、彼が調べている < 婚約者の両親を斬殺して自殺した学生評論家 > とは竹内仁のことであるが、むろん私が言いたいのはそのことではない」と解説〔亀井秀雄〕にある。モデルについての本書の立場は「春の水」の項に書いた。/なお章が死顔の真似を試みる場面があるが、「田紳有楽」のラマもまた、気息停止の仮死修行者であった)

 

時評─平野謙「毎日新聞」三月三〇日夕刊(『文藝時評(下)』・『平野謙全集第十一巻』)・小島信夫「朝日新聞」三月二九日夕刊(『現代文学の進退』昭和四五年河出書房新社)・中村真一郎「サンケイ新聞」三月二六日夕刊・久保田正文「静岡新聞」三月二八日夕刊・磯田光一「神奈川新聞」三月三〇日朝刊・上田三四二「週間読書人」四月一日号・桶谷秀昭「日本読書新聞」四月八日号(『凝視と彷徨(下)』)

合評─木下順二・福永武彦・遠藤周作「群像」五月号

収録─創作集『欣求浄土』・『現代文学大系 現代名作集(四)』(昭和四三年筑摩書房)・『日本文学全集 66 現代名作集(四)』(昭和四五年筑摩書房 本書は装幀及び書名が異なるが、内容は『現代文学大系』と全く同じである)・講談社文庫『空気頭・欣求浄土』・『藤枝静男作品集』・『現代の文学 10 藤枝静男・秋元松代』・『藤枝静男著作集第六卷』・『筑摩現代文学大系 74 埴谷雄高・藤枝静男集』・『北海道文学全集第十九巻─凝視と彷徨』(昭和五六年立風書房)・講談社文芸文庫『悲しいだけ・欣求浄土』 なお北海道文学館設立二〇周年記念『北海道文学百景』(昭和六一年共同文化社)に一部収録。
 

  わが浜名湖 ( 10 )三ヶ日─ミカン畑に変わる山並み  
「中日新聞」四月三日朝刊  随筆

わが浜名湖 ( 11 )摩訶耶寺など─静岡県下でずば抜けた仏像  
「中日新聞」四月四日朝刊  随筆

狐にばかされたこと   
「静岡新聞」四月八日夕刊  随筆(この随筆の内容は、小説「土中の庭」昭和四五年で使われている。単行本未収録)

わが浜名湖 ( 12 )猪鼻瀬戸─すごい勢いの観光開発  
「中日新聞」四月一〇日朝刊  随筆

わが浜名湖 ( 13 )鷲津・新居─ここにも公害と観光地化(完)  
「中日新聞」四月一一日朝刊  随筆

私小説家の不平   
「サンケイ新聞」四月一三日夕刊  随筆(  「寺沢の自動車」昭和四一年の項で本随筆の一部を引用し「あるアメリカ人」であるサイデンステッカーについてまとめておいた。「山川草木」昭和四七年の項も参照。/「彼の思想とは、この解釈を外部から受け入れ、それに心酔し、それによって苦しみ、またある時はそれを疑った、それらの手続きを彼がどういう格好で通過したかという、この格闘自体にあると思っている」とある。このあと「木と虫と山」でも「ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、または病苦や肉親の死や飢えをどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている」と書く。/藤枝静男は自らがめざすものとして、志賀直哉の「城の崎にて」をあげる。「文藝春秋臨時増刊」昭和四六年一二月のアンケートでも、もっとも影響を受けた小説として「城の崎にて」をあげている)

木と虫と山    
「展望」五月号  小説(文中の武速神社の将軍杉は樹齢推定一〇〇〇年以上、幹周り一〇・六米、樹高三九・〇米、所在地は静岡県天竜市字沖ノ島〔武早神社〕、同じく天宮神社のナギは樹齢推定一五〇〇年、幹周り五・〇米、樹高一〇米、所在地は静岡県周智郡森町天宮後七六〔天宮神社〕。/昭和新山の部分は「欣求浄土」の項でもふれたが、平野謙と本多秋五との北海道旅行を素材にしている。三松正夫著『昭和新山生成日記』を引用する形をとっているが、勿論創作の手が加わっている。同書の著者後記に曰く「昭和二五年六月出版予定のところ、種々の事情で出版に至らず」「そのままになっていたが、近く万国火山会議が東京で開かれ、後ち昭和新山も観察するよし」「この際生成の詳細を」「多くの人に知っていただくため」「自費出版の運びとなった」。これだけの書が自費出版とは編者には驚きである。発行日は昭和三七年五月二〇日。「木と虫と山」の六月二三日、「火口は径五〇センチ、深さ三〇センチ」とあるが、本書では「径五〇メートル、深さ三〇メートル」である〔これは意図的か勘違いか誤植か〕。また「立ち去らず凝っとみつめている。『すると、やがて水面の中央に水泡が生じて次第に拡がると、その水泡を割って……』と書いてある」と、本書をそのまま引用したかのように書いている。しかしそのままではない。本書の日記は、三日後の六月二六日に「始め口底に湛えた水面に、水泡が立ち、やがて白煙がポッカリと吹き上がり、次第に烈しく遂に口外に溢れ吹き上がると地鳴りして黒煙とともに泥水土砂岩石が噴騰し始めるが優しい活動なので口外一〇〇mの地点で見ていることができた。菖蒲の葉のように幾本も吹き上がる土石が一〇〇m─二〇〇m上空に達し、岩石はさらに煙の上空に千羽鶴のように散って、近くに降下するので、五〇〇m南方の見晴台まで後退した」とある。作品の記述と対比されたい。また七月一日の日記で「大木が抜け移行し始めていたのが、突然雨戸を破り縁側から座敷に立ったまま入り込み」とあるのを作品では「大木が地から抜けて歩きはじめ、雨戸を破って縁側から立ったまま座敷に入り込んだ」と擬人的に表現。/なお平成七年に『昭和新山生成日記 昭和新山誕生の全観察録・復刻増補版』三松正夫記念館が刊行されている。三松正夫は昭和二一年私財を投じて昭和新山を土地ごと購入し、天然記念物への申請などの保護につとめた)
 

時評─久保田正文「静岡新聞」四月二九日夕刊

収録─創作集『欣求浄土』・講談社文庫『空気頭・欣求浄土』・『藤枝静男著作集第六卷』・講談社文芸文庫『悲しいだけ・欣求浄土』 

  作品の背景 ─隠れた"私"を表現―空気頭―盲人の彫刻に似た実在感で 
「東京新聞」五月一七日朝刊 随筆(「作品の背景」として 「天女御座」に「盲人が自分の顔を撫でて」云々がある) 

十年   
『浜松ロータリークラブ三十年史』五月二八日  随筆(筆名は勝見次郎・単行本未収録。「先日は一〇年間一〇〇%出席の御褒美をいただいたので光栄に感じました」とある。)

骨壷自慢   
「芸術新潮」六月号  随筆(単行本未収録 骨壺を持った藤枝静男の写真。昭和四九年に「日野市大谷古墳出土蔵骨器」がある)

『小説・私の三好十郎伝』帯文   
大武正人著『小説・私の三好十郎伝』六月一〇日  書評(単行本未収録三好十郎については静男巷談「三好氏と浜納豆」昭和三四年、「三好氏と私」昭和三七年がある) 

本多秋五「奈良での運座」   
「ポリタイヤ」第三号(七月一五日)  アンケート「私の愛吟抄」(昭和三年の八高時代、平野謙・本多秋五と奈良公園頭塔の森で幕営したとき本多が詠んだ歌。本多の歌は「奈良公園幕営」昭和三二年でも取り上げている。本誌では「五月雨や立木を抜いて五層塔」となっているが「奈良公園幕営」では「秋雨や」である。幕営は一一月のことであり、本誌は記憶違いであろう。本多秋五年譜では「うす紅葉」。このあとの「青春愚談」昭和四六年でも「うす紅葉」。運座=出席者が俳句を作り互選する会。 単行本未収録。/なお本号に久保輝巳「藤枝静男著『空気頭』を読む─一図書館員のブック・レビュー風に」) 

天女御座
「季刊芸術」七月夏季号  小説(秋葉神社の宮司の息子「Kという章の友人」は「疎遠の友」のモデル河村直である。「疎遠の友」昭和四八年の項参照。/藤枝が幻の茶の樹を探し求めたことを「連載・茶と私(13)─茶の樹を文学にした作家藤枝静男さん」〔朝日新聞静岡版昭和五一年八月二〇日〕が書いている。章が見たかった茶の木は切られてしまっていた。藤枝静男の故郷藤枝市大久保に大茶樹がある。高さ四米、周囲約二五米。/「前には小説のなかへ他人の書いたものを引き写してみた」というのは「空気頭」。「次にはテレビと映画で見た人間を書いた」は「欣求浄土」。そして「このごろは主として木のことばかり書くが」は「木と虫と山」。「天女御座」直近の三自作についての端的な記述。/このとき雄大豊麗だった御座の松は、「田紳有楽」では「松毛虫に食われてもう駄目」な状態。、そして今は枯れてない)
 

時評─平野謙「毎日新聞」七月三〇日夕刊(『文藝時評(下)』・『平野謙全集第十一巻』)・吉田健一「読売新聞」七月三〇日夕刊・小島信夫「朝日新聞」七月三〇日夕刊(『現代文学の進退』)・久保田正文「静岡新聞」七月二九日夕刊

収録─創作集『欣求浄土』・講談社文庫『空気頭・欣求浄土』・『藤枝静男著作集第六卷』・講談社文芸文庫『悲しいだけ・欣求浄土』

  赤い靴   
「静岡新聞」七月一八日夕刊  小説(単行本未収録 珠玉短編集の1 このあと小川国夫・吉良任市・吉田知子・加仁阿木良・島岡明子・谷川昇・片桐安吾。 本作は平野謙をモデルにしたAと藤枝静男をモデルにした章との交流を描き内容的に「或る年の冬 或る年の夏」と重なる。「美しい中島」のことや、マネキン佐里子の「玄関のせまいタタキの隅に転がっていた小さな赤い靴」)

沼と洞穴   
「文芸」八月号  小説(F市の青池とは藤枝市にある青池がモデルであろう。青池はその大半を国道と遊戯施設のために埋め立てられて昔日の面影はない。池の水は湧き水である。K市近郊の百穴とは掛川市にある高御所横穴古墳群がモデルか。「バスを降りてしばらく歩いて」「左手の田圃のなかを貫いている東名高速道路の」「下をくぐり、なお一キロ」という記述と地理的には合う。とすれば「Sの街」は島田市である。勿論こうした詮索は作品鑑賞とは関わりない。藤枝静男が実際どのあたりをウロウロしたかを、ただ知りたいという編者の趣味である。/百穴は横穴古墳群の俗称。「斧の柄が腐ちていた」は中国の爛柯〔らんか〕の故事)
 

時評─「天女御座」の時評で共に論じられている。

収録─創作集『欣求浄土』・講談社文庫『空気頭・欣求浄土』・『藤枝静男著作集第六卷』・講談社文芸文庫『悲しいだけ・欣求浄土』

 

奉書巻紙の献立   
「群像」八月号  随筆(「 食物のこと 」と改題し  「高等学校に入ってチャーハンと酢豚を知ってからは、今だに馬鹿のひとつ覚えで、支那料理屋に入ってメニューを見ていくら想像しても、自分の食うものとしてはこのふたつしか頭に浮かんでこない」「『チャーハンにしよう』と云ったら平野に『全然進歩していない』と冷やかされた」とある。このことでは「四年間」昭和五年に北川静男にチャーハンと五目ソバを奢ってもらったのが「支那料理を食べた初じまりで、その後は金が来ると大抵決まって一緒に桃源でチャーハンを食った」とある。また静男巷談「日記」昭和三六年に「罪滅ぼしのつもりで妻を支那料理に連れ出して炒飯を食べた」ともある)

法隆寺と私   
「朝日新聞名古屋本社版」八月三日夕刊  随筆(

小川国夫著『海からの光』 ─重苦しい作者の気分  
「週刊読書人」九月二三日号  書評(これは昭和四三年八月に南北社から刊行されたものの書評。「重苦しい作者の気分」として『海からの光』(昭和四六年一二月、河出書房)付録に収録。「海からの光─小川国夫」として 。「海からの光─書評─藤枝静男」として『小川国夫作品集別巻』(昭和五〇年八月)。「 海からの光 」として

ある姿勢   
「文學界」一〇月号  随筆(  「ブールデル展」 1968.7.7 〜 8.25 国立西洋美術館。瀧井孝作がこの時書き進めていた作品「俳人仲間」は、完結して昭和四八年に新潮社から刊行された。藤枝に書評がある)

選挙   
未発表・執筆時期不明として随筆集『落第免状』(一〇月一二日刊)で発表  随筆(昭和三一年に熊切村は犬居町と合併して春野町になっている。「一昨年の秋」の参議院選挙に落選し引き続き熊切村の村長選にも落選とある。事実にそった記述なら本随筆の執筆は昭和三三年以前のこととなる。同様の文を「静岡新聞」昭和五〇年七月二五日夕刊。なお山梨町は昭和三八年に袋井市と合併している。山梨祇園祭は毎年七月に開催され各町内の絢爛豪華な屋台は見物 

随筆集『落第免状』あとがき   
『落第免状』一〇月一二日  自著あとがき(「内容はご覧のとおり「師・友・その他」とでも云うべきもので、対象がいずれも健在の人ばかりで少し気がさすけれど、しかし私の書いた人はその後一人も死んでいないところは自慢していいと思っている」とある。 

志賀氏の油絵   
『現代文學大系 34 志賀直哉集』月報4(一一月一五日)  随筆(『落第免状』に「昭和三二年十一月・未発表」として収録され、また『藤枝静男著作集第一巻』に「油絵を貰う」として収録されたものの改稿。単行本未収録)

今年の収穫   
「日本読書新聞」一二月一日号  アンケート(中野重治『室生犀星』、伊藤整『変容』、小川国夫『海からの光』をあげている。単行本未収録)


日本短篇文学全集第一九巻『志賀直哉・網野菊・藤枝静男』  
昭和四三年七月十五日  筑摩書房
装  幀 栃折久美子
収録作品 ヤゴの分際/痩我慢の説/一家団欒
鑑  賞 浅見 淵 




随筆集『落第免状』  
昭和四三年一〇月一二日  講談社刊
見返し装画 曾宮一念
帯  文  平野 謙
収録作品  
1(志賀直哉/小林秀雄両氏との初対面/奈良公園幕営/奈良の夏休み/奈良の野猿/志賀氏の油絵/仕事中/常磐松で/志賀氏来浜/落第免状/瀧井孝作氏のこと/尾崎一雄氏との初対面)
2(わが「近代文学」/平野断片/平野のこと/泥棒女中/古本屋ケメトス/本多秋五 /書きはじめた頃/年齢/馬籠行き/四国九州行き/落第坊主/三好十郎氏のこと/先生/異郷の友/落第仲間/同窓会)
3(泥棒三題/今朝の泥棒/火事と泥棒/選挙/明治村/スッポン/大正十一年三月八日/カツギ屋/奈良飛鳥日記/当麻寺/実作者と鑑賞家/日曜小説家/気になる傾向/『凶徒津田三蔵』のこと/「ゲルニカ」を見て感あり/好きな絵/あやふやな思い出/横好き)
あとがき  藤枝静男  
    

『落第免状』書評
十返千鶴子「毎日新聞」一一月三日朝刊・巌谷大四「信濃毎日新聞」一一月二〇日夕刊・高杉一郎「週間読書人」一二月一六日号・西田勝「日本読書新聞」一二月二日号・久保田正文「群像」一二月号・久保田正文「週刊言論」一一月二〇日号(『作家論』)・八木義徳「新刊ニュース」昭和四四年一月一五日号・匿名「週刊朝日」一一月一五日号・匿名「今週の日本」一一月一一日号


 

  

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