『鬼の手』帯文
福岡徹著『鬼の手』一月一五日 書評(単行本未収録 福岡については「注目すべきテー マ」昭和四〇年、「空気頭」昭和四二年の項参照)
滝井孝作
新潮『日本文学小辞典』(一月二〇日新潮社) 解説(本解説を藤枝静男が執筆していることを平成二一年六月に矢口貢大氏から教えられる。本辞典に藤枝静男(清水信解説)があることは承知していたが、藤枝の執筆を見落としていた。本辞典を改めてチェックすると網野菊についても藤枝は書いている。瀧井のことでは古本屋の映像情報として浅見渕宛の藤枝の手紙があったことを思い出した(高額のため未入手)。「さて今度新潮社『文学辞典』の瀧井様の項の解説を書くことを申しつかる名誉を得ましたところ、貴方様が筑摩書房版文学全集の月報に御書き遊ばしたものの一節」をという部分が映っている。しかし筑摩書房版『日本文学全集』月報に当たったが、浅見が書いているものにそれらしきものはない。なお瀧井の作品「父」の冒頭部分の素晴らしさに触れているが、「わたしの敬愛する文章」昭和四七年でも。 単行本未収録)
網野 菊
新潮『日本文学小辞典』(一月二〇日新潮社) 解説(網野では他に「瀧井さん、網野さん、尾崎さんのこと」昭和四一年、書評「網野菊著『遠山の雪』」昭和四六年、書評「網野菊著『雪晴れ』」昭和四八年、時評「網野菊『新しい隣人』」昭和五〇年が藤枝にある。身辺を素材にした「私小説が、特有の重い乾いた文体で書き継がれる」と網野作品について本解説は記すが、本辞典は平野謙の解説で私小説<わたくししょうせつ>で一項目設けている。平野は滝井・網野・藤枝静男らを、志賀直哉を源流とする「調和型の私小説」作家に位置づけている。 単行本未収録)
利己主義の小説
「読売新聞」一月二一日(日曜版) 随筆( 寓 ・ 4 ) 春永劫に薫るかな
「浜松百撰」二月号 随筆(単行本未収録 静男巷談「殊勲の本塁打」昭和三七年の一部をカット。同文といっていい)
わが浜名湖 (1)佐鳴湖周辺─蜆塚遺跡・三千年前の心中も
「中日新聞」三月六日朝刊 随筆(『ふるさと山河』昭和四三年東京新聞出版局刊に収録。以下「わが浜名湖」同じ)
わが浜名湖 (2)舞阪・弁天島─美しい「今切れ」からの景観
「中日新聞」三月七日朝刊 随筆
わが浜名湖 (3)舞阪・弁天島(下)─楽しい浜名湖の遊び
「中日新聞」三月一二日朝刊 随筆
わが浜名湖 (4)宇布見─ウナギと養鶏と織布の町
「中日新聞」三月一三日朝刊 随筆(「宇布見山崎」昭和四五年で、「一家団欒」の「作中人物が湖を一直線に横切って自分の父祖の墓に帰っていく、その入り口として想定した水辺」が宇布見であったと語っている。『高校生のための静岡県文学読本』に昭和新田開拓記念碑の写真)
わが浜名湖 (5)庄内・村櫛・舘山寺─レジヤー基地・南朝の悲劇
「中日新聞」三月一四日朝刊 随筆
わが浜名湖 (6)細江・気賀─気の毒だった宝さがし
「中日新聞」三月一九日朝刊 随
わが浜名湖 (7)気賀・金指─興味深い宝林寺の石仏 「中日新聞」三月二二日朝刊 随筆
わが浜名湖 (8)寸座・伊目─九条武子を謝罪させた医師 「中日新聞」三月二六日朝刊 随筆
わが浜名湖 (9)都筑─志賀先生一行を案内した日 「中日新聞」三月二七日朝刊 随筆
選後感
「浜松市民文芸」第 集(三月三一日) 選評(単行本未収録)
欣求浄土
「群像」四月号 小説(ピンク映画「性の放浪」は監督若松孝二・昭和四二年製作である。残念ながら編者は未見である。「性の放浪」と「欣求浄土」を見比べた人があり、ディテイルに違う箇所が多く、とりわけ「欣求浄土」で「全身ピンク色に染まって出てきた彼の痩せた妻」と書かれている終盤、映画はモノクロのままであったと書いている。「前に新聞の映画欄で読んだ問題映画と同じ」というのは、「性の放浪」が当時の話題作「人間蒸発」今村昌平監督を下敷きにしていることを指す。/また「章はA、B二人の友人と北海道に行った」とあるが、『本多秋五全集別巻一』の本多年譜昭和四二年の項に次の記述がある。「一〇月三一日、平野謙、藤枝静男と北海道へ五泊六日の旅に出る」「翌一一月一日に平野と藤枝は遠野の家庭学校を訪問」「二日は木原直彦の案内で平野、藤枝と札幌市内にある有島ゆかりの旧蹟を巡歴」「三日は林の案内でオロフレ峠を超えて洞爺湖を一周、昭和新山を見て、有珠岳へロープウェイで登る。昭和新山の鉱物質の色の深さと輝きに驚く」。「色紙に揮毫を求められて、平野が『冷ややかに水をたたえて かくあれば人は知らじな 火を噴きし山のあととも』と書のを初めて見る」。藤枝静男は「木と虫と山」で昭和新山について書いている。平野が色紙に「冷ややかに」を書いたのは昭和新山に触発されてか。この「冷ややかに」については「今ここ」昭和六〇年の項参照。/K氏とあるのは木原直彦であろう。「欣求浄土」は『北海道文学全集第一九巻』に収録されているが「私小説的に読むならば、主人公と同行したAは平野謙であり、彼が調べている < 婚約者の両親を斬殺して自殺した学生評論家 > とは竹内仁のことであるが、むろん私が言いたいのはそのことではない」と解説〔亀井秀雄〕にある。モデルについての本書の立場は「春の水」の項に書いた。/なお章が死顔の真似を試みる場面があるが、「田紳有楽」のラマもまた、気息停止の仮死修行者であった) |