平成26年(2014年)
註)本年度よりレイアウトを変更し、年月日の表記もアラビア数字とする。
●=単行本 ○=雑誌 ◇=その他 ゴシック=作品収録

 3月
◇藤枝文学舎ブログ「藤枝文学舎ニュース」開設。
●蜂飼耳『おいしそうな草』(岩波書店)発行(藤枝静男「一家団欒」にふれた「最終の空気」<図書>2012.11月号収録)。
●豊崎由美『まるでダメな男じゃん!「トホホ男」で読む、百年ちょっとの名作23選』(筑摩書房)で「空気頭」。
○<WIREDワイアード>Vol.11「21世紀の教科書─新しい世界を考える42冊」で『田紳有楽・空気頭』。
●秋山駿・勝亦浩監修/私小説研究会編『私小説ハンドブック』(勉誠出版)の作家案内で梅沢亜由美「藤枝静男」。
 4月
○<季刊文科>第62号の徳島高義「小川国夫『彼の故郷』のころ」で藤枝静男のこと。

 6月
○<火涼>68号で「清水信宛来簡集1−藤枝静男」─藤枝静男からの書簡六通を紹介。本誌を目にする機会はあまりないかと思われるので、その中の昭和36年11月10日荒正人気付け清水宛の藤枝の書簡を以下引用する。

  「拝啓/御目にかかった事はございませんが/御連載の作家論(註・<近代文学>連載の作家論シリーズ) は毎号面白く拝見/して居ります。今度私が出て来まし/たので吃驚しました。しかし大変嬉し/く感じま した。それは貴方の他には/そういう人は絶後だろうと思ったから/です。今までロクなものは書かず、又 /これからどれだけの数が書けるか、大概/自分でわかって居ります上に、まるで一般向き/でないのですから当然です。第一私には/公平に見て、貴方が私を取り上げられた/のが不思議に思われます。何か気候の加減か/と思う位です。しかし、とにかく私の書いたもの/を驚く程親切に読んで下さって居るの/は確かですし、それは普通の態度では/出来ないことですから、それがエコヒイキ/にしろ、私は分不相応な一人の愛読者/を持って居ることは確実で、こんな事は/私にとっては実に望外のことです。それと/光栄に思い感謝致します。私は貴方が/どこの方か存じませんので、それだけ一層/そう感ずるのです。/私は今半年ばかり前からかかっている/短篇を三十枚ほど書いて居りますが(註・「春の水」か)、/そのうち出来上がりましたら何かに出して貰い/ますから、御読みいただきたいものだと考/えて居ります。それはしかしやはり窮屈/なものですが。しかし真面目に書く事/は確かです。/大変嬉しく思いましたので御礼を/申し上げました。御健康を祈り上げます。/敬具」。

●浅野麗他編『大学生のための文学トレーニング 現代編』(三省堂)「『私』という虚構」の章で「空気頭」抄録。

 9月
●蓮實重彦『「私小説」を読む』講談社文芸文庫(『「私小説」を読む』中央公論社1985の文庫版/<海>昭和49年5、6月号「藤枝静男論」収録)発行。文庫版にあたっての「著者から読者へ」で、蓮實は「この書物の著者が、志賀直哉、藤枝静男、安岡章太郎という三人の作家の作品を分析の対象としたのは、そのいずれもが滅法面白いものだからであり、それ以外にいかなる理由も存在しておりません」と述べる(なお「蓮見重彦氏が偏愛する本」なるリストが2008年にあり藤枝の『田紳有楽/空気頭』『悲しいだけ/欣求浄土』が含まれている)。

 10月
<群像>10月号 変愛小説集/温故知新編で「出てこい」収録。他四篇─川端康成「片腕」、芥川龍之介「好色」、尾崎翠「山村氏の鼻」、泉鏡花「外科室」)。<変愛小説>偏愛座談─岸本佐和子×川上弘美×村田沙耶香×本谷有希子─「出てこい」などについて。
吉行淳之介編『最後の酔っぱらい読本』講談社文芸文庫(「北欧の風物など」収録)発行。
◇まつもと演劇祭(松本市/Mウィング)でアートひかり「新・一家団欒」(原作・藤枝静男/脚本演出・仲田恭子)上演。

 11月
富岡幸一郎選『妻を失う/離別作品集』講談社文芸文庫(「悲しいだけ」収録)発行。
●中村明『名表現辞典』(岩波書店)発行(藤枝静男「雛祭り」からの引用)
◇26日浜松文芸館の講座で、長女安達章子さんが父藤枝静男を語る(みらいネット浜松主催)─特別収蔵展「ポスターで見る浜松文芸館の歩み」11/18〜2015.3/3。

 12月
◇笙野頼子が「未闘病記」で野間文芸賞を受賞。
日本文藝家協会編『現代小説クロニクル1980-1984』講談社文芸文庫(「みな生きもの みな死にもの」収録)発行─解説(川村湊)で「政治的なイデオロギーの目立つ戦後派作家のなかでは、独自の死生観、自然観を持ち、幻想(夢)と現実の世界が混淆する、“藤枝ワールド”を創造した」。
●笙野頼子『猫キャンバス荒神』(河出書房新社)の「講義形式の後書きって何よあんたなんか、にわか教授の癖に」で「藤枝静男さんの身辺小説の方がずーっとリゾームだし、内在平面なのさ」。

 本年編者が知ったことに下記がある。
図書刊行会編集部編『仏教の名随筆2』(図書刊行会/平成18年7月)で「掌中果─ある黄檗僧の話」収録─「本作は小説だが、随筆としても読むことができるので本書に収録した」とある。
●小谷野敦『私小説のすすめ』平凡社新書(2009.7)で藤枝静男。
●堀江敏幸『余りの風』(みすず書房2012.12)─「不合理な逆遠近法」(『藤枝静男随筆集』解説)、「もう悲しいという言葉を口にすることはできない」(初出「モンキービジネス」2011Fall vol.11)収録。
<モンキービジネス>2011 Fall vol.11で「悲しいだけ」収録。
●梅澤亜由美『私小説の技法─「私」語りの百年史』勉誠出版(2012.12)の第四部「創られた私」で「藤枝静男『空気頭』─<尾のない輪のようなもの>として」。
○<季刊メタポゾン>第10号2013.11で劇画「妻の遺骨」(原作・藤枝静男/漫画・川勝徳重)─岡和田晃「劇画版『妻の遺骨』につて」
◇大阪教育大学付属図書館のコレクションに灰谷健次郎旧蔵書約250点があり、『藤枝静男著作集』全6巻が含まれている。

「出てこい」収録

「北欧の風物など」収録

「悲しいだけ」収録 「みな生きもの みな死にもの」収録

平成27年(2015年)

 1月
<ゐのはな静岡>第23号(千葉大学医学部同窓会静岡県支部)に随筆「酋長の娘」収録─追悼文集『伊東弥恵治先生』昭和34年に筆名勝見次郎で掲載のもの。また本号に青木鐵夫「藤枝静男をつくりあげたもの」。
◇講談社文芸文庫『田紳有楽・空気頭』第24刷発行、1990年の初版以来1年に1刷の割合である。

 2月
◇Web有名書店員がオススメする「とっておきの本」で北田博充が藤枝静男『田紳有楽』(烏有書林)。
●浜松文芸館編『裾野の「虹」が結んだ交誼/曾宮一念、藤枝静男宛書簡』(曾宮一念書簡302通)発行。なお残念ながら曾宮宛の藤枝の書簡は一通も残っていない。曾宮の息女夕見さんの証言がある─「ある日突然、父から言いつけられて、庭で大量の手紙類を焼いた。その中に藤枝先生のものもあったような気がする」。
◇文学鑑賞講座「曾宮一念と藤枝静男」講師・和久田雅之/掛川中央図書館(2月19日)。
●小池昌代・芳川泰久・中村邦生著『小説への誘い─日本と世界の名作120』(大修館書店)発行。「奇想のたのしみ」の章で藤枝静男『欣求浄土』。

 3月
◇Web「小説家になりたいと思った人が最初に読むに相応しい本たち」で三枝亮介が『田紳有楽 空気頭』(講談社文芸文庫)。

 4月
◇浜松文芸館が「クリエート浜松」内にリニューアル・オープン。

 5月
◇阪口正太郎写真展「tsukumo gami」(リコーイメージングスクエア新宿)─伊藤若冲「付喪神図」と藤枝静男「田紳有楽」に触発されての写真展。

 6月
◇<すそののくも>第22号(夕雲会)に増淵邦夫「『裾野の「虹」が結んだ交誼/曾宮一念、藤枝静男宛書簡』の発刊を振り返って」
○<奏>第30号に勝呂奏「藤枝静男の父」。
◇朗読ピアノ「一家団欒 藤枝静男」Ocaco(オカコ)/6.28池袋FIELDライブ(You Tube 9.11公開)。

  8月
◇「曾宮一念と山本丘人」展(佐野美術館/11月浜松市美術館)で藤枝静男所蔵の曾宮の油彩「虹」と藤枝宛曾宮の葉書(浜松文芸館所蔵)などが展示される(図録掲載)。
◇<藤枝文学舎ニュース>第89号特集「郷土の作家が見つめた戦争」で青木鐵夫「藤枝静男と戦争」、美濃和哥「『イペリット眼』を読む」、鈴木貞子「犬の血」、澤本行央「藤枝静男と戦争文学」。

 11月
◇<静岡新聞>11/10夕刊/佐野聖子「藤枝静男が愛した虹」(浜松市美術館「曽宮一念と山本丘人」展)。

  12月
●埴谷雄高『人物随筆集 酒と戦後派』(講談社文芸文庫)に「純粋日本人 藤枝静男」(初出『藤枝静男著作集 第二巻』月報/昭和51年9月)収録。
○<季刊文科>67号に徳島高義/懐かしい作家たち第7回「藤枝静男『一家団欒』のころ」

 本年編者が知ったことに下記がある。
●群ようこ『本棚から猫じゃらし』(新潮社/1994.2)で「前世が知りたい─藤枝静男『田紳有楽』」。
●岡崎武志・山本善行『古本屋めぐりが楽しくなる 新・文學入門』(工作舎/2008.6)で架空企画「気まぐれ日本文學全集」全六〇巻構想があり、その第46巻として川上弘美編『藤枝静男』。
秋山駿・富岡幸一郎編『私小説の生き方』(アーツアンドクラフツ/2009.6)に「私々小説」収録。
●塩田勉『作品論の散歩道』(書肆アルス/2012.9)に「藤枝静男『田紳有楽』─<イカモノ汎神論>の地平─」(初出“Waseda Global Forum”No.4早稲田大学国際教養学部2008.3)。
●『NO BOOK NO LIFE』(雷鳥社/2014.9)「本当は売りたかった、私が自信を持ってすすめる本」の第3位として『田紳有楽 空気頭』(講談社文芸文庫)。

◇当時の薬のちらしが見つかり、藤枝静男の実家勝見薬局の開業時の名前が「日光堂薬舖」であり、名義人が藤枝静男の父鎮吉ではなく鎮吉の養父勝見常吉であることがわかった。

 
 勝見薬局(日光堂薬舗)ちらし
 
 

なお本年譜に下記の(注)を追加し、また訂正したい。
■明治41年(注)
「16歳」は実際の満年齢。父鎮吉の実際は「新吉」明治6年生まれだが、役場が「鎮吉」明治5年生まれと誤記した(藤枝静男が「親父と私」1979.2.,7NHK第一放送で語っている)ため、戸籍上薬剤師試験(明治22年)を受けたとき数え歳18歳であった。
■「田紳有楽」(注)
講談社文芸文庫『田紳有楽・空気頭』63頁「人間は美味いとみえるね。孔子も食っていた」は、魯迅の「狂人日記」を踏まえてのことかと思われる。
「おれは歴史をひっくり返してしらべてみた。この歴史には年代がなくて、どのページにも『仁義道徳』などの字がくねくね書いてある。おれは、どうせ睡れないから、夜半までかかって丹念にしらべた。そうすると字と字の間からやっと字が出てきた。本には一面に『食人』の二文字が書いてあった」(竹内好訳/岩波書店『魯迅選集』第1巻17頁)。
竹内は同書解説で「中国の古い社会制度、とくに家族制度と、その精神的支えでもある儒教倫理の虚偽を<中略>人間が人間を食うことへの恐怖感という感性的な形でとらえ」と書いている。       
■昭和51年(訂正)
同上82頁「釈迦は前世が兎で大人しくて困る」に関して、<昭和51年>「田紳有楽(終説)」のところで「釈迦の前世が兎という本生譚を編者はまだ眼にしていない。藤枝の創作か」と書いたが、これは編者の不見識。「今昔物語集」の「月の兎」の話も、釈迦の前世が兎という本生譚を元にしている。

平成28年(2016年)

 1月
◇<藤枝文学舎ニュース>90号/大石朋晴「『記憶』という資料」(元<群像>編集長徳島高義の来藤、藤枝からもらった陶印「高義」の印影−もらった経緯は<季刊文科>67号に詳しい)。なお陶印では藤枝静男に随筆「判彫り正月」(昭和49年1月)及び<浜松百選>昭和51年1月号に写真を添えた取材記事「刻む」がある。
◇ブログ「作家と不思議なカレー」の話1/20「藤枝静男先生に『骨董好きの浜松野菜丼カレ—』はいかがでしょう」。  

 2月
●清水良典『デビュー小説論』(講談社)第4章笙野頼子『極楽』で藤枝静男の選評「『極楽』を推す」からの引用。藤枝は群像新人文学賞の選考委員として、笙野の「極楽」を強く推した。
●斎藤美奈子『名作うしろ読みプレミアム』(中央公論新社)第6章「現代の奇譚」で藤枝静男「空気頭」。

 3月
●奥泉光・群像編集部編『戦後文学を読む』(講談社文芸文庫)第七章・藤枝静男を読む「田紳有楽」「悲しいだけ」合評/奥泉光×堀江敏幸×桜庭一樹(初出<群像>2011.12月号)収録。

   5月
講談社文芸文庫編『「現代の文学」月報集』(講談社文芸文庫)藤枝静男「気楽なことを」(初出『現代の文学27』月報8/1972年3月)、小川国夫「地熱─藤枝静男」収録。
「作家医師をとりまく世界—藤枝静男『一家団欒』から50年」展(藤枝市文学館5/14~7/10)、大学時代の論文や小川国夫の弔辞原稿など展示。会期中に講演会/徳島高義「『一家団欒』『彼の故郷』と私」7/9。

 7月
◇IAMAS図書館長による「大人のためのブックトーク」第2回(岐阜県図書館)で『藤枝静男著作集』全6巻(IAMASは情報科学芸術大学院大学の略称。館長は小林昌廣)。

 8月
○<季刊文科>69号/佐藤洋二郎−「私小説」を歩く第4回−「桃李もの言わざれど下自ら蹊を成す」(藤枝市文学館訪問と藤枝静男のこと)・青木鐵夫「必然」(作品「老友」をめぐって)。

 9月
<群像>10月号(創刊70周年記念号「群像短編名作選」)「悲しいだけ」収録/座談会「群像短編名作を読む」辻村登・三浦雅士・河村湊・中条省平・堀江敏幸/評論「『群像』70年の轍」清水良典/評論「『群像』で辿る<追悼>の文学史」坪内祐三。

   
藤枝静男作成陶印「高義」

 

「気楽なことを」収録 「作家医師をとりまく世界」展 「悲しいだけ」収録

 本年編者が知ったことに下記がある。『素描 埴谷雄高を語る』は昨年見落とした。
<濱松民報>昭和34年2月16日 藤枝静男「曽宮一念氏個展」—この記事の存在は浜松文芸館編集『曽宮一念、藤枝静男宛書簡』平成27年刊で知る。浜松市中央図書館のマイクロフィルムで確認。以下全文転載する。
 「二月十七日から二十二日にかけて静岡市の県民会館で曽宮氏の個展が開かれる。県内に日本一流の画家が何人か住んでいて好い仕事を次々と進めていることは誰でも知っているのに、これらの人々の仕事を見る為には東京へ行かなければならない、ということはよく考えてみると甚だ奇妙なことであった。今度県民会館文化部と県美術家協会がそれに気づいてこれ等の画家達の展覧会を継続的に開催し、われわれ地元の県民に彼等の作品をまとめて落ちついて鑑賞する機会をつくってくれたということは遅まきではあっても感謝されていいことである。そのうえ第一回として曽宮氏を取り上げたという点は、氏の作品を最も多く、多分数十点も所蔵しているわが浜松市の市民の一人として大いに嬉しいし又誇っていいことがらであろう。今度の個展にも浜松から数点が出品されたが、これ等の作品以上の或いは同等の美しさを持った氏の作品はこの浜松市の中に充満しているのである。曽宮氏のひた向きな画境その色彩の若々しい美しさについては既に定評があるので何もつけ加える必要はない。私は私達の近くに見られない氏の比較的古い時代の作品をこの展覧会で眺めることのできる幸福をのがさないようにしたいと思っている。私はそこで何年かにわたって変化し進歩してきた氏の業績を追うことができるだろうと期待し楽しみにしているのである」。
 なお、同じ紙面に「市民会館ギャラリー問題 勝見氏ら当局と話合い」の記事。建設予定の市民会館にギャラリーを設けるよう勝見次郎(藤枝静男)、中村良七郎の二人が総務部長に面会を求め要望した経緯を紹介。市に自前の施設がなく、市展も松菱百貨店を借用して開催している現状を憂えてのことである。藤枝静男に実社会への強い関心があった一例である。関連して「静男巷談」に「年頭苦言」昭和35年1月がある。
高井有一『時のながめ』(新潮社2015.10)「晴れた日の展墓」収録(初出<赤旗>1994.1.11)
<日本文学>日本文学協会2002年11月号(VOL.51)特集/絵画・写真・映像—像と文学の近代—で宮内淳子「遠近法の壊し方—藤枝静男の場合—」
<昭和文学研究>昭和文学会第46集2003.3.1/宮内淳子「研究動向/藤枝静男」。
◇「天女御座」に出てくる御座の松の画像に下記がある。ただし不鮮明である。松は枯死していまは跡形もない。
  御手洗清著『静岡県西部のおもしろい伝説』(遠州伝説研究協会/昭和50年)197頁
  花沢且太郎・川原崎次郎監修『写真集 島田・榛原いまむかし』(静岡郷土出版社・昭和63年)157頁
<医家芸術>昭和45年6月号(14巻6号)に座談会「文学の中の性」。出席者/藤枝静男・椿八郎・高橋功・白木良夫─自分とはどういう者か知りたい、そうでないと上手く死ねない。自分という者を書いて行けばわかるかも知れない、そんな希望があって書いている。そうすると私の場合、比重を占めるのがセックスである。セックスに苦しめられたとか憎悪とか。「老人と性」ということではない─といった趣旨の発言を藤枝はしている。
<東京グラフィティ>2015年8月号 特集/ヴィレッジヴァンガード店員による「本当におもしろい本148連発」で『田紳有楽・空気頭』(講談社文芸文庫)。
『素描 埴谷雄高を語る』講談社文芸文庫2015.3)「埴谷氏のこと」(初出『埴谷雄高作品集』月報4)収録。
「埴谷氏のこと」収録

訂正 
■昭和42年「空気頭」の項
「ロークス・ミノーリス」(講談社文芸文庫『田紳有楽・空気頭』p.191)について 「藤枝の造語と思われる」と書いたが、『大学生の文学トレーニング 現代編』(三省堂)の注に「locus minoris はラテン語の医学用語で、抵抗減弱部、個体の弱点のことで、病原に対して最初に反応を見せる部位」とある。 「空気頭」文中に「個体の弱点ーロークス・ミノーリスと云うのです」とある通りで、この注に従いたい。

 
平成29年(2017年)

 2月
アンソロジーしずおか編集委員会『アンソロジーしずおか 純文学編』(静岡新聞社)に「一家団欒」収録。
清水信が7日心筋梗塞で死去。享年96歳。清水は藤枝静男を最初に取り上げた評論家である。<近代文学>昭和36年10月号に「当世文人気質13/藤枝静男論」を書き(このとき藤枝が清水に当てた手紙は本年譜平成26年で紹介)、また編集発行者として<同人雑誌>昭和39年7月号及び10月号(同人雑誌センター発行)に「藤枝静男研究」(若手の藤枝静男論など)を掲載した(この間の事情については、本年譜昭和41年の「序文」に詳しい)。清水は鈴鹿市に居をかまえ中学校教師をしながら評論活動、中部地方の文芸活動に長年にわたって貢献した。編者は平成26年11月にお会いすることができた。
                 
3月
◇<藤枝文学舎ニュース>94号に藤枝静男の父鎮吉の実家「魚安楼」の見取り図及び藤枝静男の生家「勝見薬局」とその周辺の見取り図。

5月
●大庭みな子研究会『大庭みな子 響きあう言葉』(めるくまーる)に宮内淳子「藤枝静男と大庭みな子─浜松を背景に」及び大庭みな子・藤枝静男往復書簡収録(大庭みな子の藤枝宛て書簡は浜松文芸館に収蔵のもの)。

6月
〇<奏>第34号に勝呂奏「評伝藤枝静男(第一回)序章・第一章〜第四章」・同「藤枝静男『家族歴』ノート」。

10月
○<ユリイカ>10月臨時増刊号「蓮實重彦」のブックガイドで『反=日本語論』−紹介文で「藤枝静男の作品の『美しさ』に対する率直な賛辞」。

11月
◇<朝日新聞>11/24静岡版「魅力発信60年『浜松百選』」で「静男巷談」のこと。

12月
○<奏>第35号に勝呂奏「評伝藤枝静男(第二回)第五章〜第六章」。

◇特別収蔵展生誕110年 藤枝静男展〜私小説を超えた「私」の求道者〜(浜松文芸館12/18〜平成30年4/16)、年譜(勝呂奏作成)・写真・日記・自筆原稿・勝見家子供日記・成蹊実務学校入学許可証・同成績表・陶印・李朝民画・藤枝宛て書簡・遺言・藤枝手作りの額に入った智世子夫人の油絵・埴谷雄高及び小川国夫の弔辞など展示。

「一家団欒」収録 藤枝静男の書簡収録 生誕110年 藤枝静男展

本年編者が知ったことに下記がある。
訂正
平塚市第二海軍火薬廠海軍共済組合病院眼科部長の就任が昭和17年9月ではなく7月。「生誕110年 藤枝静男展」(浜松文芸館)展示資料「共済組合病院就任挨拶」状で判明。これまでの藤枝静男年譜が9月としてきたのは、「藤枝静男自筆年譜」による。
○<別冊宝島40 センス・パワー>(昭和55年10月)でポップ・アヴァンギャルド文学カタログに『田紳有楽』。
大塚節子編『華子追憶帖』(昭和58年)の巻頭に「本多の姉さんのこと」(文学界1981年7月号からの転載)。本書は本多秋五の姉小堀華子の三周忌にあたり、華子の娘節子が編集。華子の遺句集『ねはん』贈呈への礼状を中心にまとめたもの。埴谷雄高、山室静などと共に藤枝静男の礼状─「拝啓、俳句集『ねはん』を只今頂戴しました。ていねいにゆっくり拝読のつもりで居ります。/随分厄介をかけ恩をこうむり、この事は生涯の思い出でございます。/本多秋五には、電話でこのことをいうつもりです。急ぎ御礼のみ申し上げます。敬具」
●小嶋知善編『久保田正文著作選』(大正大学出版会2009/7)」に以下が収録。「自然と人間」<教育>1968.5─「欣求浄土」と「木と虫と山」について/「藤枝静男と埴谷雄高」<教育>1970.12─作品集『欣求浄土』と「接吻」について、/「ボロボロになった駝鳥」<教育>1976.1─天皇の初めての記者会見に対する藤枝の発言について/「浜名湖の集まり」<毎日新聞>1972.7.10夕─浜名湖会について(注2)/「一本の路」本多秋五全集第8巻月報1995.10─浜名湖会について。
●坪内祐三『文庫本宝船』(本の雑誌社2016/8)で『志賀直哉・天皇・中野重治』講談社文芸文庫。
●金子遊『異境の文学』(アーツアンドクラフツ2016/9)で「水系の想像力—藤枝静男の天竜川・大井川」。
○<週刊新潮>2016年9月8日号の“あげるべき作品に受賞”—必読の「谷崎賞」作たち(豊崎由美)で「田紳有楽」。
◇Web/吉村萬壱さんの本棚(おすすめの10冊)で『田紳有楽・空気頭』講談社文芸文庫。同/本から感じる・作家の地元愛・内沼晋太朗<NOMIMONO>で『田紳有楽・空気頭』。同/1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本に『藤枝静男著作集』。同/上村聡が好きな本に『田紳有楽』。
藤枝静男葉書(久保田正文宛)
 <昭和47年4月21日>                             
 「拝啓『石川達三論』を有難うございました。この御仕事があることは知りませんでしたので興味があり御礼申上げます。二月から頚椎老化で左肩腕の激痛がはじまり革製首吊器で一日中首をくくって、やっと今は平常に戻り外出できるようになりました(注1)。今年は貴兄の還暦で楽しみやら同情やらで、また御来浜を待って居ります(注2)。ソ連だけでも早く行ってらっしゃい(注3) 早々」
 <昭和48年4月17日>
 「拝啓『冬のランプ』有難く頂戴いたしました。大変ハイカラで清楚な出来で感服しました。昭和二十二年頃の近代文学に書かれた『しづかな甍』それから少し長い『山峡』(記憶故もし字が違っていたらお許しください)ああいう僕をインスパイアし勇気を与えてくれた小説が含まれていないのは残念ですが、その代わり皆はじめてのものですから早速拝読いたします。これが今夜の楽しみです。『あとがき』で還暦という文字を見ると、今年の弁天島遊びが頭に浮かびます(注2)。六月終わり頃ですから日をあけて置いてください。もう皆齢だから楽な道を車でまわるくらいのところに計画をちぢめて行かなければなりませんが、淋しいようでもあります。二十日文芸家協会には次手がありますので出るつもりです。御礼まで」
 <昭和54年8月28日>
 「拝啓、中野さん告別の二日(注4)は御苦労さまでさぞ御疲れになったことと存じます。僕は蒸暑さその他で疲れ切って夜帰宅し、本多とは東京駅で別れましたが浜松駅の階段を降りる途中でカカトをすべらせて顛倒寸前で踏止まり脚か腕を折るところでした。翌午前に『子規』をいただき今1/3のところを拝読していますが実に素晴らしい本でお礼申上げます。僕も子規を読みはじめたのはあの部厚い全集の出る何年か前で中学四年くらいでしたが、その時のわかり方が現在のそれとたいして変わりない事を不思議にも思い、しかしその精髄は、他の場合と同様あの時キチンと受け取るべきものの核心は受取っていたという感もして居ります。このことが今度の御本を読んで居ると自然に想い出されて甚だ気持よく、この同感に僕の識らなかった様々なことが加わって僕には特別の利益があります。御健康を祈ります。御礼まで」
 <昭和54年9月1日>
 「拝啓『正岡子規・その文学』を有難くいただき早速拝読をはじめたところ無類に面白く、高等学校時分にアルスの全集を読みふけった時の興味が再燃した観がありまだ半分くらいですが一寸終わりが惜しい気持があります。中野さんの小文に子規が馬廻り役の倅というがそれがどの程度の地位(経済的)か云々ということを知りたいという文があったことを想出して貴方が何か教えてあげたかどうかななど思いました。急ぎ御礼申上げます。告別式(注3)には出席します。草々」
 <昭和55年3月6日>
 「拝啓『近代短歌の条件』を頂きました。少しづつ拝見いたすつもりですが、実際には作歌した経験がなく歌集を買って読む事もなかったのでどの程度理解できるかはわかりません。大正十年か十一年ころ前田夕暮が毎月来て口語の和歌をつくらされ、○をくれたり直したりしてくれた紙を持っていましたが、どこかへしまってあるはずです(注5)。お礼のみ。草々」


(1)随筆「老人病再発」<中日新聞>昭和47年3月16日(単行本未収録)がある。
(2)藤枝静男が主宰し浜名湖弁天島で毎年開催された近代文学グループの集まりでは、メンバーの還暦祝いを恒例とした。藤枝に随筆「弁天島会同」(『今ここ』収録)がある。久保田正文の「浜名湖の集まり」はこのときのことを書いている。
(3)「ソ連だけでも早く行ってらっしゃい」としか読めないが、管見にして意味不明。
(4)「中野さん」とは中野重治。「二日」とは25日通夜、26日密葬をさす。告別式は9月8日。
(5)成蹊実務学校時代 、藤枝静男は短歌部に所属していた。
 
◇映画「性の放浪」(若松プロダクション製作1967パートカラー・ワイド78分)スチール写真。
 監督/若松孝二 出演/山谷初男・新久美子・水城リカ・小水一男ほか
「欣求浄土」の主人公は、若い友人から勧められてこのピンク映画を見る。「性の放浪」の内容をことこまかに延々と記述したあと「真面目な映画だ、と章は思った」と結ぶ。 
入手した右の写真にはトリミングを指示した印があり、指示に従えば左の写真のようになる。入手したものはスチール写真の原稿であったか。遠景に撮影の様子が垣間見えて興味深い。

(トリミング後) スチール写真


◇随筆「ボッシュ」(初出<芸術生活>昭和46年5月号では「わが内なるボッシュ」)に出てくる本「Die Teuflische und Grotesken in der Kunst」を前々から実見したかったが、ドイツの古書店から入手することができた。
著者はWilhelm Michel.。ハードカバー。発行は1911年でミュンヘンの出版社。 なお「Die」ではなく「Das」。随筆では 「薄っぺらな本」とあるが、その通りで129ページ。図版数は93。北斎、ドーミエ、クレー、カロ、ゴヤ、クービン、ムンク、ブリューゲル、バルラッハ、ロップス、アンソールなどの作品が取り上げられている。

Das Teuflische und Grotesken in der Kunst??


 
平成30年(2018年)

1月
◇<ゐのはな静岡>第26号/静岡ゐのはな会(千葉大学医学部ゐのはな静岡県支部)に天野弘尊「曽宮一念と藤枝
静男」。
◇3日、藤枝静男と縁の深かった<浜松百選>の元編集長安池澄江さん死去。安池さんからは藤枝静男の原稿「生き生きとした文章を」(日本近代文学館へ寄贈)をいただいたこともあった。編者葬儀に参列。
『文学者が綴った藤枝の風景』展(藤枝市文学館1/6~2/12)。
                
4月
講談社文芸文庫『群像短編名作選1970〜1999』に藤枝静男「悲しいだけ」収録。

5月
●青木鐵夫『いろいろ田紳有楽・あれこれ藤枝静男・藤枝静男のこと』(<藤枝文学舎ニュース>に54回連載したもの。ニュース紙面を縮小コピー製本5部)。
○<群系>第40号/名和哲夫「藤枝静男評伝 私小説作家の日常(一)はじめに 一、藤枝という町・生家」

6月
○<奏>第36号/勝呂奏「評伝藤枝静男(第三回)第七章〜第八章」
『藤枝静男文学展〜欣求浄土の世界〜』展(藤枝市文学館6/16〜7/29)。
「欣求浄土」「一家団欒」原稿(浜松文芸館所蔵)や昭和新山を背景にした写真など、ゆかりの資料で藤枝静男の作品世界を紹介。展示資料に色紙「離而強即」があり、その裏面に書かれた文言が紹介されている。
         「キク用」と記して──即(つ)カズ離レズの反対。『離レテ(シカモ)強ク即ク』。志賀直哉氏ガ描写ノ心得
         トシテ予ニ教エラレタモノナリ。
妹きくにこの文言を送り、かつ丁寧に説明しているところが面白い。藤枝はこのとき78歳。この前年発表した「今ここ」<群像>昭和60年9月号以後作品を発表していない。

「昭和六十一年元旦 為菊子 藤枝静男 印」

7月
◇特別館蔵展『浜松文芸館30年の歩み─ココロとことば』(浜松文芸館7/9〜10/7)。開催してきた藤枝静男展のポスターと新聞記事、「浜松市民文芸」第一集からのバックナンバーと藤枝静男の選評、「悲しいだけ」原稿などを展示。
◇青木鐵夫が日本近代文学館に藤枝静男資料を寄贈。本コレクションは、藤枝静男の著書のほか志賀直哉編『座右寶』特製版(大正15年)をはじめ藤枝静男が見た展覧会の図録など藤枝静男に関連した美術資料が多数含まれているのを特色とする。館報<日本近代文学館>No.285に「青木鐵夫氏より原稿2点、色紙4点及び著書・関連書籍等約600点をいただいた」とある(11月、コレクション名が「青木鐵夫収集藤枝静男コレクション」と決まる)。

9月
●川勝徳重『電話・睡眠・音楽』(リイド社)/劇画「妻の遺骨」(初出<季刊メタポゾン>第14号2013.11)収録。

10月
小川国夫展はじめに言葉/光ありき』(日本近代文学館10/13〜12/1)第5部「文学者との交流」で小川国夫『藤枝静男と私』(小沢書店)、小川国夫「藤枝静男覚書」(<文芸静岡>1968.10)原稿展示。
●『「私」から考える文学史―私小説という視座―』(勉誠出版)で大木志門「幻想の系譜―藤枝静男の『私小説』を中心に」ほか。

11月
◇Web<選書往還>悲しみをどう整理するのか「つれあいを亡くした作家たちの鎮魂」本11/4で『悲しいだけ』(講談社文芸文庫)、他に城山三郎『そうか、もう君はいないのか』など。
◇館報<日本近代文学館>No.286/坂上弘「駒場ノート44/小川国夫没後十年展」で藤枝静男のこと及び青木鐵夫「藤枝静男コレクションと私」。
◇<静岡新聞>11/24「大自在」欄で「藤枝静男コレクション」寄贈のこと。

12月
◇<藤枝文学舎ニュース>第99号/100号をもってニュースを終刊、「藤枝文学舎」も解散するにあたり関係者の寄稿を掲載。藤枝静男に触れているものに下記がある(藤枝文学舎ニュース創刊は1991年8月1日)。
   大槻明三「二人の作家」・青木鐵夫「教訓」・村瀬隆彦「次郎先生に診てもらえ」・八木愛子「100号発刊ですか!」・澤本行央「創刊から25号まで」・鈴木貞子「文学舎との出会い」など。
◇テレビ番組「世界ふしぎ発見!」(12/8放映)でノルウエー・スバルバル諸島のスピッツベルゲン島(「田紳有楽前
書き(二)」群像1975/4月号で登場。しかしこの部分は単行本『田紳有楽』としてまとめられる際カットされた。随
筆に「北欧の風物など」がある)。 
○<季刊文科>76号/「文科」欄に青木鐵夫「美術と藤枝静男─藤枝静男コレクション」。
<奏>第37号/勝呂奏「評伝藤枝静男(第4回)第九章〜第十章」及び「藤枝静男資料『滝井さんと原勝四郎氏』について」─評伝では小説「凶徒津田三蔵」関連で内田六郎「大津事件を追想して」の紹介など。資料では編者がこれまで未見として来た<南苑集>第5号(昭和28年1月)の随筆「滝井さんと原勝四郎氏」の全文紹介。この第5号は神奈川近代文学館の「尾崎一雄文庫」で見つけたとある。
○<群系>41号/名和哲夫「藤枝静男評伝 私小説家の日常(二) 二、学生時代の挫折」


本年開催の文学展ポスター及び作品収録本の書影

文学者が綴った藤枝の風景展 「悲しいだけ」収録 藤枝静男文学展/欣求浄土の世界 浜松文芸館30年の歩み

本年編者が知ったことに下記がある。
◇雄飛号の絵葉書(「雄飛号来たる」関連)日本近代文学館へ寄贈
雄飛号要項  雄飛号機関部及座乗席 日本橋々上を飛行中の雄飛号

◇葬儀に使用した藤枝静男のポートレイト(本HPトップページ参照)は昭和59年5月(76歳)に撮影されたことを撮影者の藤井氏より確認。「今回の寄贈資料の中に、藤枝静男の葬儀で使われた写真がある。撮影は私が所属している美術団体『国画会』の写真部会員藤井満生。藤枝静男のポートレイトとしては、『犬の血』の口絵写真と双璧をなすだろう」(青木鐵夫「藤枝静男コレクションと私」)。
◇<文藝春秋>昭和46年8月号/連載「同級生交歓」─旧制八高/平野謙・藤枝静男・本多秋五。

このとき使用された写真は、編者の手元に随分前からあったが、なにに使われたものか不明であった。最近になって文春新書『同級生交歓』平成18年7月刊を知り、上記<文藝春秋>連載のものだとわかった(左より本多、藤枝、平野)。
平野が小文を寄せている。
「私どもは大正十五年に名古屋の旧制八高に入学した仲間である。藤枝と私とは寮の同室者であり、本多と私とはクラスの同級生である。マジメな本多だけが順調に大学卒業まですすみ、藤枝と私とは高校でも大学でも留年を重ねた。よく藤枝は医者になれたと人にいわれ、よく私は大学を卒業できたと人にいわれた。私ども三人を四十五年のながきにわたって結びつけたのはもっぱら、性わる女みたいな文学という存在にほかならない。ところが、昨年、藤枝は『欣求浄土』、本多は『遠望近思』という老年らしい境地の著書を刊行したが、私ひとり埃っぽい住民運動の塵にまみれ、おのずと文学上の距離ができてしまった」。
(注)平野がいう住民運動とは区画整理反対運動のことで、平野の随筆集『はじめとおわり』に詳しい。平野は、喜多見町区画整理対策協議会の会長を務めた。
 
↑TOP