平成六年(一九九四年)    

六月、第二回「郷土が生んだ作家 藤枝静男・小川国夫文学展」を藤枝市文化センターで開催。一二月、「硝酸銀」が『ふるさと文学館第二六巻』(ぎょうせい)に収録される。なお小林昌廣が『生命の記号論(記号学研究 14 )』三月に「生におけるロークス・ミノーリス─藤枝静男論」を、中野孝次が「文藝春秋」七月夏季号に「藤枝静男の生き方」を発表している。この年、「藤枝静男書誌第三回」掲載の高柳克也「風信」第四号(五月)が発行される。同誌に勝呂奏「藤枝静男─小説家の誕生」。この年一二月、曾宮一念心不全のため死去、享年一〇一歳。


平成七年(一九九五年)
二月、「私々小説」が『新ちくま文学の森6 いのちのかたち』(筑摩書房)に収録される。一二月、「一家団欒」が第一回しずおか世界翻訳コンクールの課題作品となる(『第一回しずおか世界翻訳コンクール優秀作品集』平成九年に英訳・仏訳入賞作と共に「一家団欒」が収録される)。

平成八年(一九九六年)

三月、「盆切り」が『リテレール』第一五号「特集・短篇」に収録、五月、作品集『今ここ』が講談社より刊行される、跋文・小川国夫「楽しく苛烈な人」。一〇月、藤枝静男所蔵の『座右寳』および志賀直哉の油絵「ボケとラッパ水仙」が「志賀直哉の空想美術館」(奈良県立美術館)で展示される。一二月、『群像日本の作家 24 中上健次』(小学館)に「蛇淫」評が収録される。なおこの年、岩波同時代ライブラリー・開高健『紙の中の戦争』(「『犬の血』と『イペリット眼』の場合」収録)が刊行される。また「藤枝静男書誌第四回」掲載の高柳克也「風信」第五号(三月)が発行される。同誌に勝呂奏「藤枝静男(?)─『風景小説』について」。また「主潮」第二三号の福井淳一「藤枝静男論(一)」がある。

作品集『今ここ』  
平成八年五月三〇日  講談社刊
装  幀 辻村益郎(函/奈良頭塔森石仏の拓本。静男巷談「石仏たち」で書いているもの)
帯  文 小川国夫(跋文抜粋) 
収録作品 
1(Tさん/一日─昭和三年─/ハムスターの仔/武蔵川谷右ェ門・ユーカリ・等々/老いたる私小説家の私倍増小説/今ここ)
2(娘の犬/娘の交通事故/平野謙と本多秋五/鴎外と浜松/呆けてきた/旅の出来事/勘ちがい芸術論/二十年余の浜松生活から/禅寺にも似た中学校/志賀直哉歿後十年/前号「志賀直哉歿後十年」への訂正その他/金素雲さんの死を悼む/本多秋五『古い記憶の井戸』を読んで/小林秀雄氏の想い出/山中自動車散歩/弁天島会同/行って帰った・女スリを撃退した/大赤字美術館長その後/尾崎さんのこと/「晩拾志賀直哉」のこと/高見順『いやな感じ』のこと/『解体する文芸』に就いて/瀧井さんのこと/瀧井さんのこと/尋常高等小学校同級会)
3静男巷談( 1 小説の神様の休日・1/ 2 小説の神様の休日・2/ 3 摩訶耶寺の赤い鼻緒の下駄/ 4 あなたは狙われている/ 5 操りの糸(牛込亭)/ 6 私の活動見物/ 7 作る人・味わう人/ 8 室生寺の新緑/ 9 古本屋ケメトス/ 10 芥川賞・直木賞の授賞式/ 11 落第坊主/ 12美女と外人と疑獄/ 13 浜松の二人の俳人/ 14 三万円の自動車の話/ 15 ポン先生とビワ先生/ 16 三好十郎と浜納豆/ 17 手児奈の眉ずみ/ 18 結婚三例/ 19 新市長/ 20 しるこ武勇談 / 21 先生/ 22 ブラ公の試験勉強/ 23 年齢/ 24 石仏たち/ 25 年々歳々/ 26 年頭苦言/ 27 羽衣/ 28 亡友/ 29 二つの結婚式/ 30 よう来やはったな/ 31 巡査三蔵/ 32 あやまる/ 33 終戦前夜/ 34 わが家の犬/ 35 磐田往復三万円也/ 36 皇居拝観/ 37 買いものぎらい/ 38 プ ラタナスの木は残った/ 39 このドライブ日和/ 40 電気バリカン/ 41 異郷の友/ 42 嫌な顔/ 43 当麻/ 44 おかしな連想/ 45 昭和十九年/ 46 日記/ 47 果し合い/ 48 鳳来寺登山記/ 49 暗いクリスマス/ 50 紋付き/ 51 素朴ということ/ 52 火事・泥棒/ 53 住まいのいましめ/ 54 殊勲の本塁打/ 55 プロ野球見物/ 56 夢の買物/ 57 お化けのトリック/ 58 白樺派断想/ 59 方寸会とは何ぞや/ 60 日曜小説家/ 61 六十一回目の雑文/ 62 越前永平寺/ 63 三笠宮殿下/ 64 スッポン啼く/ 65 千姫/ 66 新羅人の夢/ 67 白タクやーい/ 68 ゲルニカ/ 69 テレビ寸感/ 70 日記/ 71 見える・見えない/ 72 馬籠/ 73 外国語/ 74 正月回顧/ 75 アイディア以前/ 76 ホテル/ 77 小説の嘘/ 78 もう一度云います/ 79 行くつもり/ 80 名倉骨董店/ 81 ブラ公─ほか/ 82 落第免状/ 83 映画の想い出/ 84 紳士/ 85 御退屈さま(注・ 5 「操りの糸」 は初出では「繰りの糸」である。文中も「繰り人形劇」となっている)                 
跋  文 小川国夫「楽しく苛烈な人」 

『今ここ』書評
紅野敏郎「静岡新聞」六月六日夕刊・川村二郎「読売新聞」六月一六日朝刊


 

平成九年(一九九七年)
一月、青木鐵夫が「藤枝文学舎ニュース」に「いろいろ田紳有楽」の連載をはじめる。二月、埴谷雄高脳梗塞のため死去、享年八七歳。四月、藤枝文学舎を育てる会総会で講演・紅野敏郎「藤枝文学の魅力─凶徒津田三蔵を軸に」、小川国夫「藤枝静男さんの思い出」。同月、神奈川近代文学館で開催の「立原正秋展」で立原の藤枝静男宛の葉書、藤枝作の陶印が展示される。七月、『群像日本の作家 江藤淳』(小学館)に「一族再会」評が収録される。九月、『埴谷雄高全集』パンフレットに < 東京新聞 > 文芸時評抜粋。この年、「藤枝静男書誌第五回」掲載の高柳克也「風信」第六号(九月)が発行される。同誌に勝呂奏「藤枝静男(?)─戦争文学について」。

平成一〇年(一九九八年)

一月、日本近代文学館創立三五周年記念出版『作家のエッセイ?人生の僅かな時間』(小学館)に「志賀直哉と上司海雲」が収録される。『毎日新聞』八月一九日号で松浦寿輝が「この一〇〇年の文学 < 実験小説 > 」で「田紳有楽」をベスト5に選ぶ(他の四篇はブルトン「ナジャ」・ボルヘス「伝奇集」・ピンチョン「重力の虹」・バルト「恋愛のディスクール」)。一〇月から一一月にかけて「藤枝静男と李朝民画展」が浜松文芸館で開催される。随筆「観音寺の大壺」昭和五一年で「東京の有名な美術商が欲しがっているが売らない」と書いた提灯型の白磁をはじめ、藤枝所蔵の李朝民画・白磁そして原稿などが展示された。本多秋五来館。なお久保輝巳『読書会の周辺』菁柿堂が「藤枝静男著『空気頭』を読む─一図書館員のブック・レビュー風に」(初出「ポリタイア」三号昭和四三年七月)を再録。


平成一一年(一九九九年)
一月、宮内淳子『藤枝静男論─タンタルスの小説』(エディトリアルデザイン研究所)が刊行される。二月『本多秋五全集別巻一』(菁柿堂)に藤枝静男の随筆八篇と座談「本多秋五その仕事と人間」が、同月、『近代作家追悼文集 43 』に「志賀さん一面」が、六月『明平さんのいる風景』(風媒社)に書評「小説渡辺華山」が収録される。一〇月、青木鐵夫が「藤枝文学舎ニュース」に「あれこれ藤枝静男」の連載をはじめる。同月、『随筆名言集』(作品社)に藤枝静男の随筆からの抄出。

平成一二年(二〇〇〇年)

一月、『現代日本文學大系 48 瀧井孝作・網野菊・藤枝静男』が筑摩書房から復刊される。命日にあたる四月一六日、藤枝市蓮華寺池公園内に藤枝静男文学碑が建立される(設計佐貫慶之・制作杉村孝)。碑文は「一家団欒」から「空からの光りともつかぬ、白っぽい光線が湖上に遍満していて、水だけはもう生ぬるい春の水になっていた」(生原稿をそのままに刻む)。撰文は小川国夫。五月、「二つの短篇」が『三田文學名作選』(三田文學会)に収録される。『読売新聞』五月八日号で川上弘美が「名文句を読む」で「田紳有楽」。この年、四方田犬彦が『 is 』第八四号で「歯とビンズル」を、名和哲夫が一二月発行の「浜松短期大学研究論集」第五六号に「エクリチュールとしての私小説論─藤枝静男というテクストから」発表している。

藤枝静男文学碑  
平成一三年(二〇〇一年)

一月、藤枝静男の生涯の友であった本多秋五が脳出血で死去、享年九二歳。本多は『本多秋五全集別巻』月報平成一一年で、全集完結にあたってとして「無事に完結を迎えることが出来て、喜んでいます。私は数年前から、出来ることなら早く死にたいと考えるようになっていましたから、これはほとんど望外の喜びです」と書いていた。九月から一一月にかけて、「藤枝宿から文学の風」文学展。同フェスティバルで「一家団欒」朗読 ( 八木愛子 ) 。九月、藤枝静男生家跡に「生誕の地」碑が建立される。一二月、『島村利正全集第四巻』月報に、『奈良飛鳥園』贈呈への礼状を含め藤枝静男の書簡四通収録(昭和一二年の随筆「奈良の一日─志賀さんと小林さん」の筆名「島村信義」は島村利正に発しているかも知れない)。この年、「藤枝静男書誌第六回」掲載の高柳克也「風信」第七号(五月)が発行される。同誌に勝呂奏「藤枝静男(4)─歴史小説・大津事件」。高柳は編集後記に「今回で『藤枝静男書誌』第四部 著作目録が終わりました。次号からは第五部 参考文献目録・年譜製作と続ける予定です。そして新資料発掘、未確認資料の確認に務めたいと思います」と書いている。しかし高柳克也は平成一六年死去、その意図はかなわなかった。


平成一四年(二〇〇二年)

藤枝静男墓前祭の名称が、小川国夫の発案により「雄老忌(ゆうろうき)」と決まる。三月、「一家団欒」が講談社文芸文庫『戦後短篇小説再発見 10 表現の冒険』(解説・清水良典「荒野に杭を立て続ける」)に収録される。この年、青木鐵夫編『藤枝静男─年譜・著作年表・参考文献』(三月)の発行、青木鐵夫が「三田文学」夏季号に「名前考」。

平成一五年(二〇〇三年)

一一月、藤枝市郷土博物館で「藤枝静男没後十年文学展─作家の郷里藤枝と処女作『路』発表まで」が開催される。同会期中、記念講演・小川国夫「藤枝静男さんのことなど」。この年、名和哲夫が一一月発行の「浜松短期大学研究論集」第六〇号に「藤枝静男へのデリタ的アプローチ─「空気頭」の私小説性」を書いている。


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